AI時代、地方に仕事は残せるのか。米国で最も貧しい州とされるミシシッピ州では、低所得層や黒人住民を対象にした生成AI教育が始まっている。シリコンバレーから遠く離れた田舎町で、人々はAIを恐れるのではなく、地元にとどまって働くための道具として学び始めていた。2026年6月発売の『ルポ シリコンバレー』(五十嵐大介著/朝日新書)から、一部を抜粋・編集してお届けする。 ■米最貧州の田舎町で開かれたAIクラスの卒業式 南部テネシー州の最西端に位置する都市メンフィス。街の外れには雄大な水をたたえるミシシッピ川が流れる。 中心部にある「公民権博物館」を訪ねると、多くの訪問客がいた。人種差別撤廃を訴えたマーチン・ルーサー・キング牧師は1968年4月、演説で訪れたこの街で暗殺された。現場となったモーテルの跡地に建てられたこの博物館には、米国の黒人たちの長年にわたる迫害の歴史が記録されている。バスで白人に席を譲らずに逮捕されたローザ・パークス氏の展示などを見ると、この国で黒人たちが生き抜いてきた苦境を改めて痛感する。 翌朝、レンタカーでメンフィスを離れ、ハイウェー61号線を南に向かった。ミシシッピ州に入ると、草原に囲まれたのどかな丘陵地帯が続く。 幹線道路沿いにところどころ見える真新しいアンテナ塔は、同州が高速ネット通信網の整備が遅れている州であることを思い起こさせる。 1時間ほど走ると、ブルースの聖地として知られるクラークスデールの町に着いた。人口1万ほどの町の中心部は、立ち退き後で廃墟となった店舗が目立つ。 2024年6月の夕方、町の集会所には、50人ほどの人が集まっていた。 この日、プログラミング教育を手がける非営利団体「ミシシッピ・コーディング・アカデミーズ(MCA)」の卒業式が開かれていた。同校が24年1月に始めた、「生成AIクラス」の1期生たちだ。 卒業生14人の全員が黒人で、9人が女性。高校中退者、元カフェ店員、前科のある人、発達障害のある生徒――。1人ずつ壇上に上がり、晴れ晴れとした表情で卒業証書を受け取っていた。 「この日を迎えられてうれしい。でも、これからが始まりね」 1期生の最年長、アンジェラ・ストロングさん(64)は笑った。孫娘のスピリットさん(20)と一緒にAIクラスに参加した ストロングさんは、高校生だった16歳の時に地元の飲食店で働き始めた。その店で夫と出会い、地元の医療サービス、屋根や水道の修理など多くの仕事をこなしてきた。卒業式のこの日は、15年前に亡くなった夫の命日だった。 プログラミングを勉強したことはなく、授業を受ける前は「AIが人間を支配する」と恐れていた。だが、AIの基礎的なしくみを学ぶうち、「AIは私がいないと何もできないことがわかった」という。 ストロングさんは、自宅からリモートでできる仕事を探すつもりだ。「孫や姉妹の面倒を見ながら、家でできる仕事をして収入を得たい」 MCAは州の教育機関などからの支援を受け、17年に設立された。生徒の大半が高卒で低所得家庭の出身。高校卒業か同程度の教育を受けていれば、コーディングなどの経験はいらない。希望者全員が無料で半年間の授業を受けられ、ウェブサイトやアプリの作り方など基礎的な技能を学べる。これまでで約280人が卒業し、収入は卒業生の平均で入学前から2~4倍に増えたという。 生成AIの授業では、AIの約70年の歴史や、基本的なしくみなどを学んだ。教室をのぞかせてもらうと、カラフルなポストイットが壁に貼られていた。 「AIには三つのタイプがある。狭い(最も弱い)、汎用(最も強力)、スーパーインテリジェント(人間より賢い)」 「狭いAIは限られた量の情報しかない」 「AIはあなたの副操縦士。様々な手法であなたの人生を楽にしてくれる」 授業で学んだことをもとに、「AIとは何か」を生徒たちが思い思いに書いていた。 「タコス店やごみ処理会社など、今日のすべての仕事はコンピューターがかかわる。我々が教える基礎的な知識は様々な分野に活用できる」。MCAのボブ・ブセック校長はそう話す。 「この学校はダイヤモンドの採掘場のようなものだ。いまは特定の用途にしか使えない技能でも、磨き続けることでどこでも応用できる美しさを引き出せる」 ミシシッピ州は約300万の人口を抱えるが、この数年は微減傾向にある。州内に魅力的な仕事がないことなどから、州を離れる若者も多い。 「我々の州の最大の課題は、高等教育を得た人が卒業したとたん、仕事を求めて州を離れてしまうことだ。我々がこの町から輸出するのは、人々の頭脳。人材を地元にとどめられれば、経済を持続的に成長させられる」とブセック校長は言う。 卒業生たちの仕事探しの支援を手がけるのが、同じ建物に入る「ピープルショアーズ」だ。 もともとはインドで発祥した企業で、低所得者が多い地域の若者を訓練して、テック企業から基礎的な仕事を請け負っている。クラークスデールの拠点は19年に開設。今では60人ほどが働く。 ■AI時代、田舎町にも生まれる新しい仕事 クラークスデールのような田舎町の労働力になぜ需要があるのか。理由の一つが、AIを活用したサービスの広がりだ。 チャットGPTなどの基盤となる最新のAI開発には、質のいい膨大なデータが必要となる。そうしたデータは人間がチェックして加工し、AIに教える必要がある。 ピープルショアーズでは、AIの訓練に使うデータの整理やデータ入力支援などの初歩的な業務も手がけている。 こうした仕事はこれまで、アフリカやインドなど賃金の安い新興国に発注されてきた。だが、言語や時差の障壁などがあり、英語が母国語の米国の労働者に一定の需要があるという。 22年のミシシッピ州の世帯所得の中間値は約5万2700ドル(約820万円)と全米最低で、最高の首都ワシントン特別区(約10万1000ドル)の半分ほどしかない。貧困線以下で暮らす人の割合は22年で約2割と全米の州で最も多い。人口に占める黒人の割合は約4割で、全米で最も高い。 その賃金の安さゆえ、企業側は比較的低いコストで発注できる。働き手にとっては、AIの訓練に使うデータの整理や入力支援といった仕事はリモートでできることが多く、地元にとどまって働くことができるメリットもあるという。 ピープルショアーズのディレクター、ジョイ・ベイリーさん(60)は「企業にとっても労働者にとってもウィンウィンだ」と話す。 ただ、オープンAIなどのAI技術向けのデータ整備の仕事は、アフリカのケニアなどでの搾取的な労働環境も問題となってきた。ミシシッピ州政府のエコノミスト、コーリー・ミラー氏は、データ入力などの初歩的な仕事は地域の労働者に「恩恵がある」としながらも、AIの進化で影響を受けると指摘する。 「AIの訓練やコンテンツ作りなど、AIで新しい仕事も生まれる可能性があり、ミシシッピにとっての機会もある。ただ、そうした恩恵を受けるためには、常に新しい技能を身につける必要がある」。ミラー氏はそう強調した。 ■黒人のテック人材が、AIの偏りを変える 起業家として成功を収め、ミシシッピに足場を戻す人たちもいた。 同州出身のナシュリー・セファスさん(39)は、AI分野の博士号をとった後、友人らと起業した会社を16年にアマゾンに売却した。同社でAIの倫理問題のチームを率いる。 セファスさんは18年、地元の州都ジャクソンで、起業家らを支援する非営利団体「ビーンパス」を立ち上げた。ジャクソン中心部で8棟の建物と土地を買い取り、住宅や店舗、テック企業などの集積地をつくる。高齢者や若者、中小企業へのテクノロジーの教育支援などをおこなう。 「この土地で育って、会社をアマゾンに売るなんてクレイジーな話だけど、実現できた。ジャクソンから他の人も同じようなことができると信じている」。セファスさんはそう話す。 「アカデミーの卒業生で、有力企業に入った人もおり、そのパイプラインをもっと太くできる。ミシシッピが、優秀なリモートエンジニアで知られるようになる日が来ると信じている」 黒人のテック労働者が増えることは、AIの改善にも寄与するとみている。 買収後に入社したアマゾンでは、セファスさんは周囲で唯一の黒人女性のマネジャーだった。チームの大半が黒人というのは社内では珍しく、不快な言葉をかけられたこともあったという。 マサチューセッツ大アマースト校の18年の調査によると、シリコンバレーの主要テック企業のトップの8割以上が白人男性だった。アマゾンの顔認識技術をめぐっては19年ごろ、訓練データの偏りから、黒人の女性を「男性」と誤認したことが社会問題となった。顔認識技術の担当者でもあったセファスさんは、最前線でこうした問題にかかわってきた。 「より多様な人種がテクノロジーにかかわれば、データのバイアスの問題もより早期に改善できる。テック業界の文化も変わってきたが、まだやるべきことは多い」。セファスさんはそう力を込めた。