社会に求められる「基礎的公共情報」の共有・その1<明日のジャーナリズムへ>第3回【調査情報デジタル】

SNS全盛時代にあって、新聞やテレビなど伝統的な報道機関の持つ影響力や存在感は相対的に弱くなったと指摘される。しかし、健全な民主主義社会には専門的に報道に携わる組織あるいは個人が不可欠であることは論をまたない。ただ、そうした人たちの取材報道活動=ジャーナリズムを時代にあわせてアップデートすることは重要だ。そのために必要な議論の素材を提供する目的で始まった、専修大学ジャーナリズム学科・山田健太教授による連載「明日のジャーナリズムへ」の第3回をお届けする。 報道の基本は「事実を伝えること」とされてきたし、今後も変わることはなかろう。しかし何をどう伝えるかは時代において変わりうるし、メディア媒体の特性によっても違ってくる可能性がある。ただしその場合でも、これだけは外せないというジャーナリズム活動の肝が存在し、一般には「報道倫理綱領」や「記者行動規範」として明文化されている場合も少なくない。ジャーナリズム倫理と呼ばれるものでもある。そこで2回にわたり、SNS時代の事実報道の在り方を確認していくことにしたい。 ■公的情報を社会で共有する意味 ニュース(あるいは文章一般)の基本要素として昔から、5W1Hの重要性が語られており、この「いつwhen・どこでwhere・だれがwho・なにをwhat・なぜwhy・どうしたhow」が、出来事を伝える場合の原則である。さらに言えば「より速く、より正しく、より分かりやすく」を、これまで多くの大手メディアは目指してきた。もちろんこれらは、送り手の都合だけではなく、受け手にとっても知りたいことであって、両者の利害の一致があるからこそ成立している側面も否定しえない。 しかし一方で、社会の大きな関心事ではなくても、きちんと社会のなかで記録として残し、あるいはできる限り多くの人に知っておいてもらう方が、その時点もしくは将来において社会全体の利益となるものも少なくない。むしろジャーナリズム活動の重要な点は、社会に埋もれている、あるいは見過ごされがちな出来事や声をきちんと拾い集め、可能な限り多くの市民に知らせることであると言ってもよかろう。

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