「滑走路でも作るのか」かつては笑われた“御堂筋” 大阪の象徴的通りへと変貌とげた90年を懐かしい映像と共に…

大阪の、関西の、顔ともいえる象徴的な通り・御堂筋。全長約4㎞。大阪市内の中心部を、南北に貫いています。 元々は、道幅がたった6mほどしかなかった御堂筋。ところが大正時代、当時の大阪市長が「大大阪の中心街路たるを恥じざる幅員と体裁を備える」と大号令。 市民から「滑走路でも作るのか」と笑われたほどの幅40mを超える道路が1937年に完成しました。 シンボルのイチョウの木も、すでに植えられていて、この当時から、景観を考え、無電柱化もされているんです。 ちなみに、同じ時期に、地下鉄の御堂筋線も完成していますが、これは、建設中に車両を運んでいる様子。よく見ると、なんと牛が運んでいます。何ともすごい時代の大工事だったんですね。 その後、多くの人を引き寄せる大動脈となった御堂筋。これまで、人々にPRする場にも使われてきました。 大丸の屋上からロープを渡し、御堂筋の向こうのビルまで綱渡りをしているのは、大阪府警のレンジャー部隊。日頃の活動を知ってもらおうと、技を披露したんだとか。 通りいっぱいにデモをする人々は、ベトナム戦争に反対する抗議行動をしています。約6000人が参加。最後は警察と乱闘になり、学生12人が逮捕され、開始から4時間で解散しました。 御堂筋を訪れた人には、こんな人も…。 前年に、人類初の有人宇宙飛行を成功させたソ連の宇宙飛行士・ガガーリンさんです。「地球は青かった」という名言を残していますが、多くの人が詰めかけた5月の御堂筋は、何色に見えたんでしょうか。 プロ野球初のパレードも御堂筋。南海ホークスの優勝を記念して実施されました。その後は、阪神タイガースの優勝パレードもあって、何万人もの人が、歓喜に酔いしれる場ともなりました。 一方で、交通の大動脈でもあるだけに、交通量が増加。にもかかわらず、御堂筋沿いにある髙島屋の横には、なんと信号がなかったそうで…。市民の要望で設置されたのは、信号ではなく、黄色い小旗。これを振って横断するようなんですが、何とも危険な感じです。 1970年。大阪万博開催に合わせて、新御堂筋と中央大通りが完成すると、御堂筋の渋滞がより深刻に。そのため、いまに続く一方通行に切り替えられたんです。 人が集まり、交通の要衝ともなることで、御堂筋は、金融機関の本店機能や企業のオフィスも集まる、一大商業拠点となっていったのです。 時代を経て、高級ブランド店が建ち並ぶ通りとなった御堂筋。実は1990年代に起きた経済危機が関わっていました。いわゆる“バブルの崩壊”で、銀行などの路面店が退去した空きスペースに高級ブランド店が出店。 1996年に店舗を構えたシャネルをきっかけに、御堂筋はブランド店が軒を連ねるようになったんです。 都市機能の変化に対応するべく約31メートルに制限していたビルの高さ規制も緩和され、いまや道路沿いのビルの高さは50メートル以上があたりまえに。 そして、大阪のシンボルストリートが目指す将来のビジョンが―。 大阪市・松井一郎市長(2022年) 「パリのシャンゼリゼ通り」 フランス、パリの「凱旋門」に向かってまっすぐ伸びる、世界的に有名な大通り「シャンゼリゼ通り」。多くのカフェやブランドショップが立ち並ぶ世界的観光地をモデルに生まれ変わろうとしているんです。 現在の車中心の道路から「歩行者中心の空間」へ。側道の歩道化を皮切りに、社会実験としてキッチンカーが出店され、設置されたくつげるスペースで食事を楽しむ試みも。 御堂筋は完成100周年にあたる2037年を目標に「完全歩道化」を目指しています。 変わりゆく街づくりの中で大阪の繁華街、キタとミナミを結ぶメインストリートはどう変貌していくのでしょうか。

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