地震、氾濫耐え天寿全う 風間浦村庁舎(青森県)、村民支え90年 泥棒被害、村長「衝撃」

現在1500人近くが暮らす青森県風間浦村の拠点だった木造2階の古びた庁舎が17日夕、その役割を終えた。産業や健康・福祉、税務、教育など村民の暮らしを陰日なたなく支えて90年。戦前の昭和期から令和まで数々の災害にも耐え抜き「天寿」を全うした一方、泥棒に入られるトラブルもあった。 村は庁舎の開庁日について1961年発行の「青森県町村議会誌」に基づき「36年11月17日」としている。同誌は間口が今の半分程度にとどまる建物正面の写真を掲載している。場所は易国間地区。津軽海峡沿いの国道279号に近く、夏になればまばゆいほどのいさり火が水平線に並び、漁村らしさを感じさせた。 戦禍を免れ、68年の十勝沖地震では鉄筋コンクリートのむつ市役所3階がつぶれたにもかかわらず無傷。83年の日本海中部地震、2011年の東日本大震災での損壊もない。建物近くを流れる易国間川の氾濫にも耐えた。1951年12月、61年4月の同地区の大火時でももらい火はなく、いわば「運の良い」建物だった。 現在64歳の冨岡宏村長が役場に入った81年、建物はまだ築45年だったが既に古さは目立った。職員が今より多く狭さも感じた。だが終業後、当直室で先輩と花札やトランプに興じながら村の将来を語り合ったことが良い思い出だという。 冨岡村長が「衝撃的だった」と苦笑するのが役場に入って半年しか過ぎてない同年10月に起きた金庫荒らし事件だった。東奥日報の報道によると鍵のかかっていない裏口から入った泥棒が出納室の金庫を破り、中に保管されていた職員給与など約372万円を奪った。当日、台風接近で天候は荒れていた上、宿直室が現場から離れていたためか、当直職員は不審な音に気付かなかった。犯行後、全職員が指紋を採られた苦い記憶が残る。その後、当直は2人体制に変更。犯人は後日、逮捕された。 ほかにも酔漢が宿直室の窓をたたくこともあった。役場のある易国間地区の人口はまだ比較的多く、夜営業の店があった時代。現在は昼も含め飲食店はない。 建物老朽化に加え耐震性に不安があり津波被害の可能性が高い海岸部に近いことから、村は高台に新庁舎を建設。21日に開庁する。 冨岡村長は言う。「新庁舎の売りが防災拠点であるのはもちろん、1階の村民ホールは訪れた方がくつろげる場所で、まきストーブがある。火が見えれば自然と人が集まり、話が弾むだろう」。人と人を結ぶ要の場所にしたいとの思いがにじむ。

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