幸せの国の沈黙 【サヘル・ローズ✕リアルワールド】

「ブータン」と聞いて、アナタはどんなイメージを思い浮かべますか? ヒマラヤの美しい山々。伝統文化を大切にする人々。そして、「世界一幸せな国」。長年、ブータンはそう紹介されてきた印象があります。私自身もそうしたイメージを持っていました。 けれども最近、ブータンについて知れば知るほど、一つの問いが頭から離れなくなりました。私たちは、本当にその国の姿を知っているのだろうか。昨年、国連の専門家の方々が、ブータン政府に対して長年収監されている政治囚の釈放を求めました。政治的な意見を表明したことや、ビラを配布したことなどを理由に逮捕され、終身刑を受けている人々。また、公平とは言えない裁判や、拷問による自白の疑い、家族との面会制限なども、人権団体(HRW)の報告書の中で指摘されています。 さらに人権団体は、少なくとも30人以上の政治囚が拘束され、その多くが数十年にわたり自由を奪われていると訴えました。十分な医療や食事が与えられていないとの証言もあります。 そんな中、今年6月、18年以上収監されていた2人の政治囚が釈放されたといいます。もちろん、それだけで全ての問題が解決したわけではありません。それでも私は、一つの希望を感じています。国連の専門家、人権団体、そして世界各地で声を上げ続けた人々がいます。今回の釈放の理由をこれ一つに決めつけることはできませんが、長い間見落とされてきた問題に光が当たり、多くの人が関心を寄せたことは決して無意味ではないということです。 世界のニュースは、国家と国家の対立ばかりが目立ってしまいます。しかし、その裏側には必ず「1人の人生」があります。逮捕された息子を待ち続ける母親。夫の帰りを信じて待つ妻。いつ帰ってくるかわからない父親を思い続ける子ども。 「人権侵害」は、法律や政治の話ではありません。誰かの日常が壊されたということです。私はこれまで、ロヒンギャ難民の方々やウガンダの難民居住地、ウクライナやイラク、そして祖国イランなど、さまざまな場所で人々の声を聞いてきました。 そこで気づいたことがあります。豊かな国だから大丈夫。観光地として人気だから大丈夫。民主主義だから大丈夫。平和そうだから大丈夫。そのイメージだけでは見えてこない「現実」があります。 ブータンは「国民総幸福量」という考え方で世界から注目を集めてきました。経済成長だけではなく、人々の幸福を大切にするという考え方そのものは、とても素晴らしいです。だからこそ、私はあえて問いたいです。 何十年も自由を奪われている人がいるなら、政治的な意見を持っただけで人生を奪われている人がいるなら、「国民総幸福量」の幸福とは、誰のための幸福なのでしょうか。 「幸福」とは数字でしょうか。観光客が見ている景色でしょうか。本当に幸せな社会とは、力のある人だけが笑っている社会ではなく、声の小さな人たちも安心して生きられる社会ではないでしょうか。 もちろんブータンという国の全てを否定したいわけではありません。イランも日本もそうです。どの国にも誇るべき文化があり、温かな人々がいます。しかし同時に、どの国にも向き合わなければならない課題があります。 国を愛することと、問題に背を向けることは違います。むしろ本当にその国を大切に思うのなら、 見たくない現実からも目をそらしてはいけない。私はそう養母から学んできました。 遠く離れた場所で起きている出来事に関心を持つこと。声にならない声に耳を傾けること。そして、忘れないこと。そこから、本当の意味での「幸福」が始まるのだと、私は信じています。 【KyodoWeekly(株式会社共同通信社発行)No.27からの転載】 サヘル・ローズ 俳優・タレント・人権活動家。1985年イラン生まれ。幼少時代は孤児院で生活し、8歳で養母とともに来日。2020年にアメリカで国際人権活動家賞を受賞。

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