シリアのアサド前大統領、欠席裁判で死刑判決

サマンサ・グランヴィル記者、アリス・デイヴィス記者 シリアの裁判所は11日、内戦中に戦争犯罪と人道に対する罪を犯したとして、2024年12月に追放されたバッシャール・アル・アサド前大統領に対し、欠席裁判で死刑判決を下した。 前大統領に対して有罪判決が出るのはこれが初となる。前大統領は政権崩壊後、家族と共に首都ダマスカスからロシアのモスクワに逃亡。50年にわたるアサド一族の独裁的な支配に終止符が打たれた。 前大統領のいとこで、南部ダルア県の政治治安責任者だったアテフ・ナジブ被告も死刑判決を受けた。法廷内でしま模様の囚人服を着ておりの中に立つナジブ被告に対し、裁判官が判決を読み上げた。 ダルア県は、アサド政権に対する反乱の発祥地として広く認識されている。 ダルアでは2011年3月、反政府的な落書きをしたとして告発された10代の若者グループが拘束され、拷問を受けたとされる事件がきっかけとなり、市内で抗議デモが発生した。アサド政権が軍を投入してこれを弾圧したことで、抗議が全国に広がり、数十万人が犠牲となった内戦へと発展した。 シリア暫定政府は今年初め、50年以上にわたり同国を統治したアサド政権関係者らの裁判を開始した。 ナジブ被告は、裁判にかけられた最高位の官僚の一人。殺人、15歳未満の子供に対する意図的な殺害、そして死に至る拷問などの罪で有罪判決を受けた。 裁判所はまた、アサド前大統領の弟のマーヘル・アル・アサド被告を含む、元軍および治安当局者6人にも、欠席裁判で死刑判決を下した。マーヘル被告は軍の精鋭部隊、第4師団を率いていたが、政権崩壊時にモスクワへ逃亡した。 有罪判決を受けた他の人物には、ファハド・アル・フレイジ元国防相が含まれる。 判決後、裁判所の外には、老若問わず数百の人々が集まり、アサド政権によって殺害された人々の写真を掲げていた。 集まった人々は拍手喝采し、歓声を上げた。クラクションを鳴らしながら通り過ぎる車もあった。旗を配る男性グループもあった。 ある男性は、「喜びは言葉では言い表せない」と、父親の写真を掲げながらBBCに話した。「神のご加護があれば、バッシャール・アル・アサドとその側近全員が絞首台にかけられるのを見られるだろう」。 別の女性はBBCに対し、誰もが「勝利と解放」が入り混じった感情を抱いていると述べ、「被害者の声がついに届いた。正義が実現した!」と叫んだ。 この裁判を担当したヌーハ・アル・マスリ検事は、2011年3月にダルアのアル・オマリ広場で起きた弾圧と虐殺で兄弟を亡くした。 「私たちは、私たちの血を流し、犯罪を犯し、私たちの権利を侵害し、私たちを殺害し、拷問した者たちから、私たちの権利のほんの一部でも取り戻すために、15年間待ち続けてきた」と、マスリ氏はBBCに語った。 「裁判がこれで終わりにならないよう、私たちは求めている。新しいシリアでは今日という日から、罪を犯せば処罰される」 ロシアがシリアの新政権に、アサド前大統領とマヘル被告の身柄を引き渡すかどうかは不透明だ。 シリアの新指導部は以前から、アサド前大統領に対する行動を起こしてきた。昨年12月には、殺人および拷問の容疑で逮捕状が発行された。 現在シリア大統領を務めるアフメド・アル・シャラア氏率いる反アサド政権勢力は、わずか11日間の迅速な作戦で政権を崩壊させ、シリアを掌握した。 それ以来、暫定政権は多数の元政府高官や治安関係者を拘束してきたが、アサド前大統領自身を含む旧政権の幹部のほとんどは、依然としてロシア国内にとどまり、身柄の拘束を逃れている。 アサド政権末期にも、反体制派の指導者らが欧米諸国の裁判所を通じて前大統領を追及しようとしたものの、有罪判決には至らなかった。 アサド前大統領は2000年、父ハフェズ・アサド元大統領の死去を受けて政権を握った。兄で長男のバシル氏が1994年に交通事故で死亡するまでは、シリアの統治者になる見通しではなかった。 在任中は、軍や治安機関、情報機関などにおける多くの役職で、一族の支持基盤であるイスラム教シーア派の分派アラウィ派を優遇し続けた。 その統治期間のほとんどを通じて、国内では内戦が続いた。 追加取材:ラナ・アンタキ記者(ダマスカス)、リーン・アルサーディ記者(BBCアラビア語、ダルア) (英語記事 Ousted Syrian dictator Bashar al-Assad sentenced to death in absentia)

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