【コラム】春に映る心の機微。(向 風見也)

やめるよう伝えられた。 コラムの注文を受けた4月上旬。有名俳優逮捕の報道が過熱するさなかに43歳の誕生日を迎えた落胆を主題にするのは、どうか、控えて欲しいと担当者に哀願された。 理由は真っ当だ。 「だって『ラグビーリパブリック』ですから」 いったん申し出を無視する。 1980年前後より日本で生まれ育った異性愛者の男性の多くは、一生に一度は件のアイドル的人気を誇った女性タレントの作った「沼」に陥っている。 かつ、なかにはそこから抜け出せぬまま、ないしは何らかの理由で思いを再燃させて日々を暮らす層も少なからずいる。 つまり2025年春の列島では、一定数の社会人が激しく落ち込んだまま満員電車、高層ビルに溶け込んでいたのだ。また、その個人的な感情に左右されぬよう努めていた。それが、働くということだ。 筆者も平然と取材現場にいた。あの日、自宅のベッドから起き上がるのに3時間かかったことなど、仕事には無関係だからだ。 ここからは編集方針にならう。 足を運んだのは、桜の花びらが残る東芝の府中事業所敷地内だ。昨季リーグワン王者、東芝ブレイブルーパス東京のクラブハウスを訪ねた。取材を受けてくれたのは、森田佳寿コーチングコーディネーターだ。 内容の大半はクラブが繰り出す先鋭的な攻めとその背景だったが、競技活動以外の要素にも話が及んだ。 毎年12月下旬に始まるリーグワンでは、年が明け、順位争いが過熱する春になればグラウンド外での交渉も本格化する。リーグ側の取り決めに沿い、各クラブの移籍希望者リストが内部で出回ったり、翌年度の契約延長および満了に伴う通告がなされたりする。 チームの安定的な運営と選手個々の人生設計を鑑みれば、それは避けられぬ構造である。海外ではシーズン開幕と同時に次年度の市場が開くらしい。いまの戦いへの熱量と未来の戦いへの考察が、当たり前のように行き来していよう。 つまり『ラグビーリパブリック』が伝える業界の住人の一部は、心にある程度の引っかかり(じきに同僚がいなくなりそう、これから自分の立場がどうなるかわからないなど)を抱えて責務を果たしているわけだ。 何よりその責務とは、その国にとって最高峰のラグビーだ。高重圧、高強度なバトルである。胸の内の揺れを誤魔化して首尾よくこなせるほど、簡単ではない。 私情を切り離して働くことは技術的にできなくはないが、私情を無にして生きることは不可能だ。 いま、つくづく実感する。 日本は現行のリーグを始めて4シーズン目に入った。序盤から好調を維持しながら途端にエネルギーを失ったり、強豪をなぎ倒した次の週に嘘のような大敗を喫したりする組織の例はひとつやふたつではない。 インタビューで森田に聞いたのは、マーケットとフィールドの動きの関係性についてだった。 「(指摘されたタイミングは)そういった要因がある時期だと、認識しています。ただ『やるだけ』では他の色んな雑音に(目が)いきやすいわけですけど、僕たちは、僕たちのラグビーをパフォーマンスすること、よりよくしていくことを楽しんでいる」 と、まずは自分たちの施す準備の充実ぶりについて触れ、部内の人間関係へもこう言及した。 「ここにいる人たちがこのグループをケアする、他の人たちを大切に思う気持ちもベースとなっていて、あまり(周りの声に)紛らわされないようにはなっています」 ——では、3、4月に内容面も含め好調に映るならばよいチームだ、という仮説は成り立ちますか。 '19年から指導者になった聡明なOBは、「それはイエスであり、ノーです」と言葉を選んだ。 「ロイヤリティ(忠誠心)の高い人たちが揃ったグループでも、とんでもないプレッシャー下で遂行できるストラクチャー、スキルセット、スコッド(人員)が十分ではなかった場合は…(そのために不調に陥りうる)。ただ一方で、ラグビーサイドがよくても、僕が東芝のいいところだと思っているチームをケアするところが低かったら、この時期、それが作用してチームのパフォーマンスがよくなくなるかもしれない」 この繊細な領域を別角度からとらえたのは、横浜キヤノンイーグルスの沢木敬介監督だ。 一時やや低迷のこのクラブで'20年より現職に就くや、勤勉性と向上心を植え付け昨季まで2季連続で4強入り。簡潔な物言いでも知られる職業コーチは、こう正鵠を得た。 「どうだろうね。…それは、人によるんじゃない? どんな環境でも一生懸命に全力を出せる人間もいれば、そうじゃない振る舞いをする人間もいる。ただ、このチーム、(後者は)そんなに多くないよ」 緑濃い町田の「キヤノンスポーツパーク」のベンチで話したのは、4月下旬某日のことだ。 この昼は、生え抜き12年目に突入の庭井祐輔も同じ椅子に座った。 昨季までに感じた、チーム力の高まりを明かした。以前と最近とでは、退部予定者の顔つきが違うようだ。 「去年のシーズン(終盤)に感じました。いま花園近鉄ライナーズにいるミッチェル・ブラウン、浦安D-Rocksにいるルテル・ラウララは、もう退団が決まっていたのに最後の試合で本当に素晴らしいパフォーマンスをしてくれた。そこまでの過程でも一切、手を抜かなかった。出ていく選手が最後まで尽くしてくれるって、相当、難しいことです。…本当に、いいチームだと思いました」 無形の底力を育んでいたはずなのに、直近のイーグルスは黒星を重ねていた。 決定力、粘りといった、ここ数年で積み上げてきたはずの組織力が見えづらかったように映る。庭井はこうも発した。 「すごく端的に言うと、うまくいっていない。そんななかで皆、どうにかしようともがいている。自分もそのひとりです。(渦中にいるため)いま評価できるわけではないですが、大事な場面を迎えていると、凄く感じます」 5月6日、秩父宮ラグビー場での第17節。すでにプレーオフの切符を持っていたコベルコ神戸スティーラーズに29-47で屈した。首位争いをするブレイブルーパスとの最終節を待たず、3季ぶりに大台達成を逃した。 スタンド下の取材エリアには、田村優がいた。元主将の正スタンドオフだ。記者団の質問に答える。 ——中盤戦以降、黒星がかさんだのはなぜでしょうか。 「色々な要因はあると思います。相手もあることだし、負けようと思っていなくて、勝とうと思っていましたけど。そんなに簡単じゃない」 ——リーグのレベルが上がったからですか。 「それはあんまり。拮抗してきたとは思いますけど、色々な要因があって、混戦になったんじゃないかなと」 ——繰り返される「色々な要因」とは。 「内部、かな。僕たちの、チームの、中の問題です。どのチームにも言えるとは思いますけど」 ちなみにその日は、タフなフッカーの庭井が欠場していた。主将でインサイドセンターの梶村祐介、主戦スクラムハーフのファフ・デクラークも先んじて戦列を離れていた。 さらに戦力構成とは別領域にあたる内部の様子が以前と違うのだとしたら、「繋がり」が肝となるイーグルスの攻防は通常通りとはいかなくなるだろう。 あの日のベンチで、指揮官はしみじみと残したものだ。 「ヘッドコーチの一番の仕事は、責任を取ること。選手がいねえとかガタガタ言うコーチを見て、かっこわりぃと思ってきたから」 つくづくこのスポーツには人間が、人間たちがにじむ…。 それを前提に、コンテンツとしての高質なラグビーのゲームを提出する立場の難儀さには驚くほかない…。 と、いった調子で考えたのは、5月の連休最終日の夜。近所にある大衆向けの鉄板焼き屋では、店主がカウンター式の焼き場を挟んで常連客と談笑していた。会話が途切れると、テーブル席の空いたグラスを片付けるようアルバイトに指示を飛ばした。名将の視野を想起させた。 BGMは90年代のJ-POPが流れる。会計を済ませて席を立つと、『MajiでKoiする5秒前』のイントロが鳴った。 【筆者プロフィール】 向 風見也(むかい ふみや) 1982年、富山県生まれ。成城大学文芸学部芸術学科卒。2006年よりスポーツライターとなり、主にラグビーに関するリポートやコラムを「ラグビーマガジン」「スポルティーバ」「スポーツナビ」「ラグビーリパブリック」などに寄稿。ラグビー技術本の構成やトークイベントの企画・司会もおこなう。著書に『ジャパンのために 日本ラグビー9人の肖像』(論創社)。『ラグビー・エクスプレス イングランド経由日本行き』(共著/双葉社)。『サンウルブズの挑戦』(双葉社)。

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする