大阪万博で展示中《キリストの埋葬》が話題!今に名を残す巨匠たちに大きな影響を与えたカラヴァッジョの劇的な生涯

17世紀、西洋美術の黄金期はひとりの天才の出現によって幕を開けました。見事な写実性と、強烈な光と影の明暗法で絵画に革命を起こしたカラヴァッジョです。ベラスケス、ラ・トゥール、ルーベンス、レンブラントなど17世紀の偉大な画家たちにも大きな影響を与えます。今回はカラヴァッジョの波乱の人生を紹介します。 文=田中久美子 取材協力=春燈社(小西眞由美) ■ ミラノからローマへ ルネサンス、マニエリスムに続く17世紀の美術を「バロック」といい、ダイナミックな構成とドラマチックな光の捉え方を特徴としています。バロックの創始者といわれているのがミケランジェロ・メリージ・ダ・カラヴァッジョです。光をスポットライトのように効果的に用い、闇とのコントラストでドラマティックな画面を創り出しました。その生涯は彼の作品と同じように、ドラマティックで波乱に富んだものでした。 カラヴァッジョは1571年、ミラノで生まれます。父フェルモ・メリージはカラヴァッジョ公爵の執事でした。1577年、ペストの流行から逃れるため一家はミラノ近郊の町・カラヴァッジョに移り住みますが、その年の10月、父、祖父、叔父がペストで亡くなります。 父親亡き後、長男のカラヴァッジョは早く独り立ちする必要がありました。ミラノで活躍していた画家シモーネ・ペテルツァーノに13歳で弟子入りし、絵の修業を始めます。ペテルツァーノは群像表現の宗教画や静物画的な細部描写を得意とする画家で、細密な静物画はカラヴァッジョに受け継がれました。 またジョヴァンニ・ジローラモ・サヴォルドや、アントニオ・カンピの夜景表現も学びました。そして、ミラノを中心とするロンバルディア地方は写実主義の伝統があります。このミラノでの修業は、カラヴァッジョののちの表現に大きな影響を与えることになります。 1590年に母ルチアが亡くなると、弟妹とわずかな財産を分け、1592年、カラヴァッジョはローマに出ます。 貧しい生活のなか、いくつもの工房を渡り歩いた末、売れっ子画家カヴァリエール・ダルピーノの工房に入ります。当時のカラヴァッジョは果物や花などの静物画を得意とし、《果物を剥く少年》(1593年頃)のような、果物や花などの静物と少年を組み合わせた絵を描いています。

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