ドイツのメルツ首相が首相指名選挙の第1回投票で落選した背景には、社会民主党(SPD)左派の造反があったとの見方が有力だ。造反の起点はメルツ氏が1月に極右政党・ドイツのための選択肢(AfD)の票を借りて採択させた難民決議だが、今後の政権運営にも内なる火種として残るだろう。そしてそのSPD自体も、内部の左右対立が鮮明化している。 *** 5月6日にキリスト教民主・社会同盟(CDU・CSU)が推したフリードリヒ・メルツ氏(69歳)が第1回首相選挙で落選したことは、政界に激震をもたらした。誰もこのような事態を予想していなかった。 連邦議会での首相選挙は、通常はルーティーン、つまり形式的な手続きだ。これまで全ての首相は、1回目の投票で議席の過半数を確保した。だがメルツ氏はこのルーティーンで落選するという番狂わせに襲われた。自信家メルツ氏も、この時はさすがに心の動揺を隠せず、呆然とした表情で本会議場を去った。 5時間後に行われた第2回投票でメルツ氏は、過半数を確保し、首相に就任した。このため大連立政権の閣僚たちは「終わり良ければすべて良し」と言って、同氏が1回目の投票で落選したことの意味を矮小化しようとしている。だがこの前代未聞の出来事が、メルツ氏の指導力と統率力、信用性に深い傷を負わせたことは間違いない。ドイツの政治史で、メルツ氏だけが2回目の投票を経なければ首相に就任できなかったという事実は消えない。ドイツは長年にわたり、欧州で最も政治的に安定した国と言われてきたが、この評価が揺らいでいる。