公開から4週が経った劇場版『名探偵コナン 隻眼の残像』は相変わらず興行収入ランキングで首位を保っている。5月11日までの公開24日間の観客動員は786万5800人、興行収入は113億6600万円。『劇場版「鬼滅の刃」無限列車編』のリバイバル上映が始まった影響で上映スクリーン数が減ってしまったものの、応援上映、そしt5月30日からは新たな劇場施策として、コナン史上初となる「SCREENX」「ULTRA 4DX」での上映と、全上映劇場にて次回作の29弾にまつわる後付け映像が追加されることが発表されている。 今後もSNS上ではリピーター客が多く見受けられ(かく言う筆者は六ヶ岳登頂した)、興収の伸びが期待できそうだが、今年の劇場版『名探偵コナン 隻眼の残像』は一体何が魅力的なのか。脚本や演出や音楽、さまざまな要素の中で、物語と登場人物の描写に焦点を当てたキャラクター評として本稿を綴りたいと思う。 ・サスペンスと大人たちの“感情”を堪能する 特に前作の劇場版『名探偵コナン 100万ドルの五稜星』が“若者たちによる恋愛青春アクション映画”だったことに対し、本作は”大人による大人向けのサスペンスドラマ”として仕上がっているのが大きな特徴だ。『100万ドルの五稜星』では文字通り笑って泣いて、服部平次のトム・クルーズ並みのアクションを楽しい悲鳴をあげながら見守ったり、本作ヒロインの遠山和葉の取り合いになったり、怪盗キッドの普段は見られない新たな一面が見られるなど、とにかく大きな感情が各々で爆発するような作品だった。 しかし『隻眼の残像』の面白い点は、そんな「新緑」な作品から一気に「冬木立」なビターでシリアスな大人たちの物語になったのに、高校生たちに引けを劣らず、その大人たちが感情を爆発させている点である。むしろ、人生と歳を重ねた“大人だからこそ”の感情が色濃く描かれていて、そこが本作の大きな魅力ではないだろうか。 そんな本作の軸となるのは「喪失」と「残像」というキーワード。この2つは主要登場人物みんなが共有するものであり、それぞれにとっての「喪失」と「残像」を追うことが彼らの感情を読み解くうえで重要なのだ。 ※以降、『名探偵コナン 隻眼の残像』の結末を含むネタバレが記載されています。 ・報いようとする、残された者たちの“残像” 映画の冒頭で、毛利小五郎が刑事時代の相棒であり親友の鮫谷浩二を失う。そこからこの作品は「大切な人を失った者の物語」として動き出すのだ。失った者は、言うなれば残された者であり、テーマでもある「喪失感」がいかに彼らの原動力になるのかを本作は描く。毛利にとっての「喪失」は鮫谷であり、「犯人を逮捕すること」が彼にとっての報いだった。 一方、その鮫谷の命を奪った林篤信は、8年前に御厨貞邦と鷲頭隆が起こした強盗傷害事件がきっかけとなって、当時の恋人である舟久保真希を失っている。そんな林にとっての「喪失」が大和敢助や上原由衣、諸伏高明など、誰かにとって大切な人を失わせる(自分と同じ痛みを与える)報復への原動力となってしまった。同じ「喪失」による原動力でも、正しい方向と(倫理的に)間違った方向性で分かれてしまう。その分岐の中で、自らがどんな人間で居続けるか、どんな選択を取るか。そんなことを本作は我々に問いかけるのだ。 特に劇中、最もエモーショナルなシーンが、真希を失った父親の舟久保英三と、司法取引で名前を変えた大友隆こと鷲頭が再会する場面だ。 「お前を殺したかったのは俺だ! この8年間ずっと! ずっとだ。それが俺の8年だ。お前の8年はどうなんだっ……(中略)どんなつもりで花を供えていた、その8年間を教えてくれ……」 多くの洋画作品の吹き替えを務めつつ、本業が舞台俳優である仲野裕の演技が素晴らしく、何度観てもやはりこのシーンで目頭が熱くなってしまう。林と同じように、誰かを殺す形で報いようとした英三が、目の前に殺したい相手を捉えながらも、膝をついてお互いに過ごした時間について理解し合おうとする。一方、“残ってしまった者”である大友(鷲頭)にとっての報いは、自分の起こした事件がきっかけで命を絶った真希の亡くなった山で、彼女の墓を守りながら御厨に殺されるまでの時間を過ごすことだった。つまり、彼にとって8年間は生きるためのものではなく、死ぬまでの余命に過ぎないのだ。しかし、残されながらも“生き続けている”英三にとっての8年間という時間の長さを痛感し、あの場でようやく面と向かって謝罪をした大友(鷲頭)。 この“残された者”と“時間の捉え方の違い”は、本作の主役と言っても過言ではない「長野県警組」こと大和敢助、上原由衣、諸伏高明、それぞれの物語にも関わってくる。 ・大和敢助の“残像”、上原由衣の“時間” 大和の“残像”は、本作の主題とも言える。彼が雪崩事故に遭う前に誰を、そして何を見たのかを解き明かしていくのだから。この“残像”は映画の物語を推進していく役割を担うが、大和にとってのもう一つの“残像”は、かつて故郷の村の交番に勤務していた、幼少期の頃からの憧れである甲斐玄人巡査にまつわるものだった。彼は8年前の強盗傷害事件について知る数少ない人物でありながら、亡くなっていることが明かされている。この甲斐の不審死の真相を突き止めようと誓い合った大和と上原。これは本編の「風林火山」シリーズで解き明かされたのだが、重要なのは大和と上原が同じ“残像”を共有していたことである。 もちろん上原にとっての“残像”が甲斐巡査にまつわることなのは確かだが、それ以上に彼女にとって大切なのが、大和の存在そのものなのだ。雪崩事故で彼を失ったと思った上原。“残された者”として、甲斐巡査の死の真相を明かすために彼女は地元の名士と結婚した。『隻眼の残像』の劇中でも印象的な、大和と上原の会話シーン。彼は彼女に結婚したことを咎めるようなことを言ったが、それが彼女の覚悟であり“残された者”としての報いだったのだ。そして、雪崩事故に遭って意識不明だった大和と、彼が死んだと思っていた上原が過ごした“時間”の捉え方は、やはり違う。 「風林火山」のエピソードを振り返ると、夫が殺害された連続殺人事件の容疑者の一人だった上原に対し、大和がしきりに「奥さん」と呼んでいて、こういった部分に不器用な彼なりのヤキモチが見え隠れしている。そんな2人の恋愛模様も、たくさんの感情が詰まった本作の見どころの一つである。そして、大和を失ったと思っていたのは上原だけではない。