東京じゅうの売春する女性が新宿に吸い寄せられた“シンプルな理由”「ラブホテルの乱立と“あの建物”の存在が…」

〈歌舞伎町の大久保公園はいつ「売春の聖地」になったのか “日本人お断りの売春旅館”と、路上に立つ女性たちの「奇妙な関係」〉 から続く 新宿歌舞伎町の「大久保公園」が売買春の“聖地”と化したのには少なくとも2つのルーツがあった。1つは江戸時代から街娼が集まる“岡場所”に近接していたこと。そしてもう1つが、第二次世界大戦が終わった後に進駐軍向けのRAAと呼ばれた慰安所『芙蓉館』ができたことだった。 しかし終戦直後にできたRAAは、翌1946年には早くも崩壊が始まっている。 1945年8月26日のRAA発足から約3カ月で東京だけで50施設を超えるまでに増えていたが、翌1946年の3月1日、キリスト教の牧師や在日米軍の婦人団体などから抗議の声が挙がったのを機に、GHQは進駐軍兵士の立入禁止令を出し、表向きRAAは廃止された。 ただし、正式にRAAが消えるのは発足から3年後の1948年で、それまでは規則違反を顧みない米兵と日本人客を相手にした営業が続いていたという。実際、新宿の芙蓉館も禁止令後の1947年8月に設立されており、戦後の混乱期においては曖昧な部分があったに違いない。

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