DeNAのトレバー・バウアーが2軍落ちした巨人・戸郷翔征に励ましのDMを送った美談がファンの共感を呼んだように、近年のNPBは野球を真に愛し、対戦相手の選手をリスペクトする優良助っ人が多くなった。だが、過去には“暴れん坊”の異名をとった顰蹙ものの助っ人も少なからず存在した。 その一人が、ロッテ、中日でプレーしたメル・ホールだ。 メジャー通算134本塁打を記録した元ヤンキースの4番は、1993年に前年まで2年連続最下位と低迷していたロッテに球団史上最高年俸の200万ドル(当時のレートで約2億5000万円)の2年契約で入団すると、4番打者としていずれもチームトップの打率296、30本塁打、92打点の好成績を残した。 だが、練習は「オレはメジャーのやり方にこだわる」と軽いアップとフリー打撃だけで早々と終了。試合ではDHの打席が終わると、次の打順が回ってくるまでクラブハウスでテレビゲームに興じ、翌94年に入団した7歳年下のヘンスリー・ミューレンを見下していじめるなど、身勝手で傲慢な言動の数々で関係者の顰蹙を買った。当時のエース・小宮山悟も後年、「こいつだけは許せないと思った」と史上最悪の助っ人に挙げている。 93年6月22日の近鉄戦では、6回1死、高村祐から右肘に死球を受けたマックス・ベナブルがマウンドに向かおうとして、捕手の山下和彦に制止されると、ネクストサークルから“助太刀”に参戦。山下をグラウンドに引き倒すと、馬乗りになって、ボコボコにパンチを浴びせた。 しかも、審判団が乱闘のきっかけをつくったマックスと山下に「喧嘩両成敗」で退場を命じて事態を収拾したことから、一番暴れていたホールはお咎めなしという“殴り得”の結果に。 そして、試合は皮肉にも3対3の延長10回にホールが赤堀元之から左翼ポール際に決勝ソロを放ち、乱闘の主役が勝利のヒーローになってしまう。お立ち台に上がったホールは「今日みたいな日は、スカッと勝たないとね」の“KYコメント”を残している。