12歳の少女が見た昭和21年 BC級戦犯1万人「私もGHQに目をつけられるだろうか」 プレイバック「昭和100年」

<当時の出来事や世相を「12歳」の目線で振り返ります。ぜひ、ご家族、ご友人、幼なじみの方と共有してください。> ■東京裁判始まる 終戦から1年以上たつが、父はまだ帰ってこない。戦死でも、行方不明でもない。捕虜を虐待したという罪で、フィリピンのマニラでBC級戦犯として裁判を受けているのだ。 父は軍人で、長く南方の部隊にいた。それほど上の階級ではなかったが、あの「マレーの虎」と呼ばれた山下奉文陸軍大将に声をかけられたこともあったという。その山下大将は今年2月、「戦犯第1号」のような形で、いきなりフィリピンで死刑執行され、新聞でも大きく取り上げられた。 去年の8月15日、戦争が終わって私は正直ほっとした。これから何が起こるかわからない怖さはあったけど、空襲で逃げ回る生活が終わるだけでもよかった。その後、GHQ(連合国軍総司令部)が来て日本を「民主化」すると言ったころまでは、何だか新しい時代が始まるようで、父もすぐに帰ってくると思っていた。 ところが、年明け直後に政治家や経済人などが一斉に公職追放されたころからGHQは怖い存在だと思うようになった。正月の天皇陛下の詔書にもあったように、日本は「五箇条の御誓文」の明治時代から話し合いを大切にしてきた国で、GHQに言われるほど「デモクラシー」がない国ではないと思う。逆に、気に入らない日本人をどんどん排除しているGHQのほうが民主的でないなんて言ったら怒られるだろうか。 終戦時のフィリピンには10万人以上の日本人がいて、兵隊だけでなく民間人も含めて多くが捕虜になった。このうち数百人が裁判を受けることになり、父もその一人になった。中には、内地にいたのにフィリピンに連れ戻された人もいるらしい。 ■「仕返し」始まった 父は家に入って来る蛾(が)のような虫も逃がすほど優しい性格だったのに、虐待などするはずがない。私が小さい時に弱い者いじめをしたと言ってすごく怒られたこともある。祖父は、裁判というより連合国の「仕返し」が始まったと言うが、それならなおさら心配だ。母は、気が張っていた戦中よりも落ち込んで、寝込む日が続いている。 5月にはA級戦犯と呼ばれる東条英機元首相ら28人の裁判も東京で始まった。国の指導者が裁かれるのは仕方がない面もあると思うが、この裁判では「戦争を起こしたこと自体が国際法上の罪になる」とラジオで言っていた。これには、祖父だけでなく近所の人たちも納得がいかないと怒っていた。

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