「涙の引退会見」から一転、23年ぶり自民復党の鈴木宗男氏が最終当選者に 事務所も混乱

20日に投開票された参院選直前に議員辞職し、23年ぶりに自民党に復党した鈴木宗男氏(77)が、自民比例代表の最終当選者となった。21日早朝には敗色濃厚として事務所で会見を開き、涙ながらに引退の意向を表明。数時間後に一転して当選が決まる劇的な展開となり、支援者にはうれしい誤算となった。 鈴木氏は21日午前4時半すぎ、落選がほぼ確実となったとして札幌市中央区の事務所で記者会見。「復党し、出馬表明から選挙まで1カ月。時間が足りなかった。とはいえ、すべての責任は私にある」と選挙戦を振り返っていた。 今後の政治活動について「選挙に出るときからこれが最後と言い続けた。政治家として天国と地獄も味わった。もう選挙には出ない、一つのけじめだ」と明言。「バッジがあろうがなかろうが、民間人であっても自分にはやれることがある。これまで培ってきたパイプを生かし、いまだ解決していない北方領土返還など国益の観点から今後も力を尽くしたい」と語り、時折、目に涙を浮かべていた。 鈴木氏は、1983年の衆院選旧北海道5区に自民公認で立候補して初当選。第2次橋本内閣で北海道開発庁・沖縄開発庁長官、小渕内閣で内閣官房副長官を務めるなど自民党政権の中枢を渡り歩いた。だが、2002年に北方四島支援などを巡る疑惑で離党し、東京地検特捜部に逮捕、起訴された。公判中の05年に新党大地代表として衆院選比例北海道ブロックで当選したが、その後実刑判決が確定して服役した。 公民権停止期間が満了した後の19年参院選で日本維新の会から出馬し国政復帰を果たした。ただ、党に事前の届け出なくロシアへ訪問したことを巡り23年に離党、今年6月まで無所属で活動した。国会法は比例選出議員の任期中の政党間移動を禁止しており、復党するには議員辞職が必要だった。 鈴木氏は今回の参院選を「最後の戦い」と触れ込んで選挙戦を繰り広げた。選挙期間中は日本最北端の宗谷岬から最南端の有人島、沖縄県の波照間島まで遊説に回り、公式ブログによれば、17日間の移動距離は2万キロを突破した。 ただ、政権与党への逆風も重なり、開票作業が始まった後は当落が判明しない時間が長く続いた。鈴木氏は21日早朝の会見で、派閥政治資金パーティー収入不記載問題を巡る自民党の対応に問題があったと指摘。「政治には安定が最も必要。戦後80年の長きにわたって政権を担ってきた自民党政治は間違っていなかったと思う」と語っていた。

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