8月1日、実にあきれた出来事が起きた。金建希(キム・ゴンヒ)特検チームは収監中の尹錫悦(ユン・ソクヨル)前大統領が調査に協力しないとして逮捕令状の発付を受けて執行を試みた。これに対して尹氏は囚人服を脱ぎ、下着姿で抵抗したという。特検チームはその数日後も、刑務官10余名を動員して強制拘留を試みたがうまくいかず、尹氏が座り込んでいた椅子ごと持ち上げようとした。その過程で尹氏が床に倒れて負傷し、その後になってようやく特検側が引き下がったと伝えられている。 到底納得できない。尹氏は元検察総長として、また前大統領として、そして一国の市民として、謙虚に誠実に調査を受けるべきではなかったか。特検チームの態度も見苦しかった。国家の首長として致命的な過ちを犯して収監されているとはいえ、わずか3年余り前に私たち自身の手で選んだ大統領だ。それをわざわざ見苦しい形で逮捕して調べる必要があったのかと問いたい。調査を受けるよう粘り強く説得しても応じなければ、直ちに起訴すれば済むことではないか。法理を離れて、その程度の配慮も、寛容もないのであれば、この社会はなんと乾いたものだろうか。 それだけではない。特検チームは個人のプライバシーなど顧みず、当時の状況を詳細にメディアへブリーフィングした。これを知った海外メディアは嘲弄するかのように「前大統領、下着姿で寝転んで審問拒否」と見出しを打ち、韓国は経済と文化の面で急速に成長したにもかかわらず民主主義はまだ遠いとする論評まで載せた。私はこの出来事があった2025年8月1日を「国恥の日」としたい。 今から115年前の1910年8月29日、国権を奪われる屈辱が国力の不在から来たとすれば、今日の恥辱は国家の品格があまりにも低い結果だ。私たち自身が内外に恥をさらしたことなので一層苦々しい。 どうして私たちの国格(国の品格)はここまでみすぼらしくなってしまったのか。食べる物にも事欠いた時代でさえ、私たちは三綱五倫(人間関係の基本的な道徳規範で、家族や社会の秩序を保つための考え方)と共同体精神という最低限の倫理意識で耐え抜き、今日の大きな経済を成し遂げた。しかし成長のアクセルを踏む過程で、貧富・地域・企業規模などのさまざまな不均衡と不信が積み重なり、政治圏では与野党が政争ばかりにかまけて消耗的な対立を繰り返した。一般国民までもが左右のイデオロギー闘争に明け暮れている。このような状況では、国格の回復ははるか遠い。常識と品格の回復は、政治圏の深い自省、同伴成長哲学の普及、そして市民社会全般の自発的な実践が並行して行われる時にはじめて可能となるだろう。 私は政府で働いていた時、国内外で「国格向上のための国民実践運動」を推進した。一例として、ちょうど2010年は解放65周年であり、韓国戦争(朝鮮戦争)60周年でもあり、各国首脳や参戦勇士の訪韓が多かった。私たちは過去の連帯に感謝を伝えつつ、韓国の歴史と文化、伝統と礼節を紹介することに最善を尽くした。 公職を離れた後も、私はささやかながらその志を引き継ぎごうと思った。清潔な食堂で店主からサインを求められれば短い激励文を残す。「おいしい料理、厚い人情、そして心からの親切が国家の品格を高めます。ありがとうございます」。心温まる一言が、大げさなスローガンよりも長く残り、より遠くに広まると信じているからだ。 言葉と態度が文化を変える現場を私は自ら目撃したこともある。ソウル神学大学(当時総長ユ・ソクソン)で特別講義をしたとき、学生も教職員も皆、明るい表情で私を迎えてくれ、気軽に声をかけてくれた。この大学は、アンニョンハセヨ(こんにちは)の「アン」、カムサハムニダ(ありがとうございます)の「カム」、ミアナムニダ(すみません)の「ミ」を組み合わせた「アンカムミ運動」を実践している最中だった。キャンパスの構成員は誰でも出会う相手に「こんにちは」「ありがとうございます」「すみません」と自然に挨拶を交わしていた。私はこのような小さくとも着実な実践こそが、国格を高める強力な出発点だと考えた。 国格とは、結局のところ国民一人一人の人格の集積である。では、個人の品格はどのように育まれるのか。 私は長年、人間性回復運動推進協議会(理事長:コ・ジングァン)が主導してきた「愛の日記」運動に注目してきた。40年余り続いてきたこの運動は、日記を書くことを通じて自らの考えや感情を整理し、人間性を涵養しようという提案だ。些細な習慣のように見えても、日記を書くことは自分の内面を振り返り磨いていく人間性教育の出発点となる。そしてその小さな実践が家庭や社会へと広がるとき、大韓民国は健全な精神と温かな人間性に満ちた共同体へと生まれ変わることができるだろう。 故・李御寧(イ・オリョン)先生は、国格を高めるためには「まず私たちの中の賤格(卑しさ)を取り除くことから始めなければならない」とおっしゃった。代表的な賤格は、下品で低俗な言葉だ。美しい言葉は必ず美しい行動へとつながるはずだ。 2025年8月の混乱は私たちに問う。「私たち韓国は果たしてどんな国家になりたいのか」と。市民社会ではすでにある程度希望が見え始めている。政治圏の決断を促したい。 鄭雲燦(チョン・ウンチャン)/同伴成長研究所理事長・前ソウル大学総長