2000年代以降、覚醒剤取締法違反などで複数回の逮捕・収監を繰り返してきた元タレントの田代まさし氏が8月に10年ぶりとなる新刊を出版してトークイベントを開催し、1990年代に主演した映画がCS局でリピート放送されるなど、再起に向けて動き出している。8月31日で69歳となった田代氏が、よろず~ニュースの取材に対し、心の支えとなった恩人の言葉や主演映画の裏話などを語った。 19年に覚醒剤所持で逮捕され、20年から22年まで福島刑務所で服役した田代氏。救いとなった世界の偉人や人生で出会った恩人の言葉を選び、収監中につづった自身の思いや直筆イラスト21点を「こころの処方箋」と題した著書にまとめた。新刊には面識のあった俳優・高倉健さん(14年死去、享年83)による「人生の喜びは何かを得る事ではない 得た物を大事にしていくこである」という言葉もあった。 高倉さんとの出会いを語った。田代氏は「車を運転していた時でした。工事中で道がふさがって停車していたら、真後ろに止まっていたベンツのオープンカーに乗っていたのが健さんだった。俺、大ファンだから車を降りて挨拶に行ったら、健さんはサングラスを外して『初めまして、いつもテレビで拝見してます』と。車に戻ると、後から健さんが近付いてきて、『お暇があったら連絡ください』って胸ポケットから出した名刺をくださった。今も大切にケースにしまっています」と振り返った。 高倉さんの言葉について、田代氏は「人は何かを『得よう、得よう』するけど、重要なのは『得たものをどう大事にしていくかということ』だと。なるほど、俺は大事にしていなかったなと健さんに教えられた」と語る。さらに、「これは俺の自慢なんですけど、長嶋さんの息子さんの一茂君の結婚式に芸能界から2人だけ呼ばれていて、それが健さんと俺だったんです。健さんは『久しぶり、お元気ですか』と声を掛けてくださり、なんて素敵な人なんだって思いました」としのんだ。 恩師・志村けんさん(00年死去、享年70)の「100%の力を出そうとしなくても良いんだよ。70%位の力でやってみな。肩の力が抜けて100%以上の力が出ることになるから」という言葉も忘れられない。 「今やっているYouTubeで演技をする時も、志村さんとやっていたコントを思い出してます。間(ま)とかタイミングとか。志村イズムが俺の中に残ってる。人間って、誰かの存在があったから今の自分が成り立っていると思う。1人で生きていけないわけだから。『そんなに頑張らなくても大丈夫。70で、70で…』って志村さんの言葉を今も思い返してます」 志村さんと〝バカ殿〟コントなどで共演したことを機に、80年代後半から90年代にかけ、音楽とは別にタレントとして活躍。その流れから、俳優として主演した映画があった。直木賞作家・伊集院静氏(23年死去、享年73)の原作で、「つぐみ」「東京夜曲」「トニー滝谷」など数々の名作で知られる市川準監督(08年死去、享年59)による93年公開の「クレープ」だ。 同作はCS「衛星劇場」で市川監督特集の1本として7月から放送され、8月27日にもオンエアされた。田代氏は離婚した妻の元にいる高校入学前の娘と再会する中年理髪師の役。カフェでのぎこちないやりとりの中でクレープを食べ、河川敷で遭遇した少年野球の試合を応援するといった半日のデートを通して娘との絆を取り戻していく父の姿を繊細に演じた。 たが、本人には相当なプレッシャーだったという。田代氏は「クランクイン前に胃潰瘍になって入院したんですよ。それまで(演技は)お笑いでごまかしていたところもあり、自分の本当のシリアスな部分を出すのが苦手で、それを監督に要求されたから…。そのくらい自分のそういう(素の)部分を見せるのが嫌だったんですね」と打ち明けた。 同作は公開翌年にVHSが発売されたが、その後、DVD化はされていない。00年代以降に続いた事件の影響が推測されるが、少しずつ状況は変わってきている。田代氏は「志村さんの番組の中で僕が出演している部分も少しづつ解禁していただけて、うれしく思っています」と受け止めている。 現在はYouTube番組「MARCY'Sちゃんねる」をベースに活動。田代氏は「つらいことや捨て鉢になりそうな時もあったけど、いろんな人の言葉や周囲の皆さんによって今の俺があるということを感じますし、そのことを伝えていきたい」と前を向いた。 (デイリースポーツ/よろず~ニュース・北村 泰介)