元南派工作員の長期囚ら秋夕昼食「当時3歳の娘も60代に…北にいる家族に会いたい」

「3歳の娘に行くなと引き止められた記憶が今でも鮮明に残っています。(当時)妻のお腹の中にいた次男には名前も付けられずに来ました。早く家族に会いたいです」 30日午前、光州(クァンジュ)のYWCAで会ったキム・チャニョン牧師(90)は、60年前に家族と生き別れたことを思い出し、しばらく言葉を詰まらせた。 平安北道フェチョン郡出身のキム牧師は1965年3月、南派(韓国に派遣)スパイの連絡任務を受け韓国に侵入して逮捕され、1980年10月まで15年間服役した後、満期出所した。聖職者として新しい人生を送ったキム牧師は、韓国社会にうまく溶け込んだが、北朝鮮にいる家族が目に浮かぶと語った。キム牧師は最近、統一部に北への送還を申請した。死ぬ前に家族に会うためだった。キム牧師は統一部から「最善を尽くして道を開いてみる」と言われたとして、期待感をにじませた。 キム牧師は「この60年間、家族の安否も分からないまま生きてきた。娘たちももう還暦を過ぎた」とし、「今は年を取って足が痛くて健康も良くないが、家族に会う力はある。家族を韓国に連れてきて一緒に暮らしたい」と語った。 同日、光州キリスト教会協議会は、キム牧師を含む北朝鮮出身の長期囚4人と、昨年死亡した長期囚の故キム・ビョンホさんの遺族であるソ・ギョンウォン元国会議員(88)を招待し、秋夕(陰暦8月15日の節句)を迎える長期囚お見舞い礼拝とともに、昼食をもてなす場を設けた。 長期囚らは朴正煕(パク・チョンヒ)・全斗煥(チョン・ドゥファン)軍事政権の強圧により転向意向書に署名したことで、これまで送還対象者に含まれなかった。彼らは尹錫悦(ユン・ソクヨル)政権時代に北朝鮮との関係が最悪に突き進んで絶望したが、政権が変わってからはまた故郷に帰れるかもしれないという希望が生まれたと語った。 工作船の操舵手としてキム牧師とともに逮捕され、15年間収監されていたイ・ジョンジュンさん(88)も、北朝鮮にいる妻と2人の息子の生死も分からぬまま、一生彼らを想っている。イさんはキム牧師と共に統一部に送還を求めた。 1967年1月に臨津江(イムジンガン)を渡った平安南道鎭南浦(ジンナムポ)出身のイ・グァングンさん(80)は、無期懲役を言い渡され22年間収監された後、1988年12月に釈放された。イさんは生涯独身で、故郷に帰る日を待っている。イさんは金大中(キム・デジュン)政権時代に一度送還を申請したが、受け入れられなかった。イさんも先月、再び送還の意思を統一部に伝えた。 長期囚たちは礼拝と食事会の最後に「私たちの願い」の歌を声高に歌った。 パク・トンギ南側現代史研究所所長は「転向長期囚のほとんどは長い間収監され、爪の下を針で刺して全身を殴る拷問に耐えられず、転向意向書に署名した。自分の意思によるものではなかった」とし、「金大中政権時代は送還対象者を非転向長期囚に限定したが、李在明(イ・ジェミョン)政権は平和・民主・人権政権の姿を見せてほしい」と語った。 キム・ヨンヒ記者(お問い合わせ [email protected] )

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