「同一人物とは思えない」事実婚の夫と高級マンション暮らし、フェミニストの女性はなぜ公園に嬰児を捨てたのか 著者は語る 『今日未明』(辻堂ゆめ 著)

〈15日午後6時半ごろ、F市の住宅で、住人の男性(71)が胸から血を流して倒れているのを妻が発見し、119番通報した。F署はその場にいた男性の息子(40)を、殺人未遂の疑いで現行犯逮捕した〉 新聞の片隅に、今日も名もなき誰かの事件が載る。事件のあらましを伝える記事は短い。だが、事件の“真相”は容易に想像できるはずだ。引きこもりの息子が、折り合いの悪い父親から、「働け」などと言われて逆上、咄嗟に刺し殺した。ありふれた事件だ。……しかし、本当にそうなのか。 辻堂ゆめさんのミステリー小説『今日未明』の5つの短編は、まず読者に短い記事を提示する。犯人も犯行状況も明らか。「きっとありふれた事件を想像するでしょう」。 「でも、それが偏見や先入観による解釈で、真実でなかったとしたら? 私はネットのニュース記事をコメント欄まで読む癖があるんですが、そんな情報は記事に書いてないのに、『内縁の夫が連れ子を虐待した』とか、『目を離した母親が悪い』とか書きたてる投稿がとても多いんです。続報が出て、母親に同情すべき点があると、途端に『不幸な事件だった』と、手のひらを返す。情報を疑わず、思い込みで醸成される空気の恐ろしさと、真相とのギャップ。それを描こうと思いました」 読者の見立てはすぐに覆されていく。一人暮らしの息子正之を、お手製のポテトグラタンを携えて老齢の父が訪ねてくる。これが絶品。〈仕事と家事、お父さんが両方やってくれればよかったのに〉〈お母さんをお払い箱にしてさ〉。母の悪口で意気投合する2人。やがて正之は、父の作ったジョギングコースを走り、父に心配をかけないために働く決意を固めるが……(「夕焼け空と三輪車」)。主人公に特定のモデルはいない。だからこそ、読者は自らの先入観と向き合うことになる。 「記事から世間が想像する人物とは、正反対の人物を描こうと構想したところはあります。たとえば、公園に嬰児を捨てた女性と、事実婚の夫と高級マンションに暮らし、フェミニストで男女平等の揺るがぬ信念を持つ女性。同一人物とは思えない彼女に何が起こったのか知りたくなりませんか」 児童虐待、高齢ドライバーによる交通事故、介護。各編で描かれるのは、懸命に日々を生きていたはずの人々が、意図せず悲劇へと至る姿だ。そこには、現代社会が抱える「優しさ」の難しさも横たわる。 「いまの社会は、他者にどこまで優しくしていいのか、その按配が難しい。お節介な優しさが警戒されたり、相手を思って干渉しないことで兆候を見逃したり。登場人物は特別な悪人ではなく、人との距離感を見誤って、日常生活の延長線上の事件に巻き込まれてしまいます。一歩間違えれば、自分もそうなるかもしれない」 結末だけを見れば、確かに救いがない。「イヤミスと言われたら、そうかも」と辻堂さんは苦笑を浮かべる。 「どんな結末も、100%のバッドエンドもハッピーエンドもないと思う。80%が不幸でも、20%の希望がきっとあるはず。ままならない現実のなかにも、救いを見出したい。人を断罪するだけでなく、そんなもんだよなと思ってもらえるような小説を書きたい、そう思うようになりました」 “風景”を意識したと辻堂さん。各編の表題は、彼らが見た風景、見るはずだった風景。そして「まだ引き返すことができた瞬間」――。 「自分の固定観念がいかに強固で、脆いかを体験していただけたら嬉しい。固定観念などないと思う貴方にこそ、読んでほしいですね」 つじどうゆめ/1992年、神奈川県生まれ。2015年『このミステリーがすごい!』大賞優秀賞を受賞し、『いなくなった私へ』でデビュー。22年『トリカゴ』で大藪春彦賞受賞。著書に『十の輪をくぐる』『君といた日の続き』『山ぎは少し明かりて』『二人目の私が夜歩く』などがある。22年『卒業タイムリミット』がNHK総合で連続ドラマ化。

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