韓日の学生たちの願いが8年ぶりに結実…詩人・尹東柱 80年を経て立教大に帰る

寒い雨が降った11日、立教大キャンパスに詩人・尹東柱(1917〜1945年)の記念碑が設置され、除幕式が行われた。 尹東柱は1942年4〜12月の約8カ月間、立教大に在籍し、「たやすく書かれた詩」など5篇の詩を残している。平和を希求した尹東柱の詩に感銘を受けた立教大の学生たちは、偉大な先輩の足跡を残したいと8年前から活動を始め、彼の逝去から80年の今年、実現に至った。 学生たちは、立教大異文化コミュニケーション学部の李香鎮教授の授業を通じて尹東柱と出会った。李教授は2013年から、日本や韓国、中国など東アジアの映画を通じて韓日の歴史や異文化理解について教えている。李教授は、尹東柱が日本に留学する前に学んだ現・延世大の後輩にあたり、尹東柱の詩や人物像についても授業で取り上げてきた。 記念碑設置に向けて動き出したのは、尹東柱の生誕100周年の2017年だった。当時、在籍していた卒業生の山田都子さんは、「当初、尹東柱について学生は誰も、何一つ知らなかった」と振り返った。李教授から学ぶうち、自然な流れで学生たちから「同志社大には尹東柱の詩碑があるのに立教大にないのはなぜか」と疑問がわいたという。 尹東柱は、立教大から京都の同志社大に編入した。在学中の1943年7月、朝鮮独立運動をしたとして治安維持法違反容疑で逮捕され、1945年2月16日、福岡刑務所で獄死した。同志社大は尹東柱の没後50年の1995年に記念碑を設置した。 2017年、学生たちは尹東柱に関する大規模なシンポジウムを開き、記念碑設置のための募金活動も実施した。集まった約70万円は、学生たちが代々引き継いで管理した。コロナ禍や日韓関係の悪化などを乗り越え、大学側が積極的に推進したことで、この日、ついに結実した。 記念碑除幕式に先立って開かれた記念シンポジウムで、卒業生の足達洋樹さんは、尹東柱の魅力について「日本が軍国主義に突き進んでいった時代で、朝鮮の学生は民族独立運動や社会主義運動に参画するなど、歴史に巻き込まれざるを得なかった」としたうえで、「尹東柱が大きな歴史の物語とは距離を置いて、詩の創作を続けたことに感動した」と話した。そのうえで、「世界的にポピュリズムが広がる中、尹東柱を記念する詩碑が作られることになったのはすごくうれしい。立教の学生が少しでも尹東柱を知る機会になってほしい」と語った。 尹東柱が日本留学中に創作した詩の原本が残っているのは、立教大のシンボルであるユリの紋章入りの便箋に書かれた5篇だけだ。5篇は現在、延世大の尹東柱記念館に保存されており、複製が立教大の展示館に展示されている。 記念碑には「たやすく書かれた詩」の複製が刻まれ、詩の日本語訳も記された。除幕式では、いずれも立教大4年の工藤志乃さんが日本語で、チョン・ジミンさんが韓国語でこの詩を朗読した。記念碑が設置された「太刀川記念館」周辺は、尹東柱が在学中、よく歩いていた道だという。 除幕式で、立教大の西原廉太総長は「80年の年月を経て、尹東柱詩人は立教大のキャンパスに戻ってきた」と述べ、「延世、立教、同志社の3大学は尹東柱が在籍した大切な学生だったことを誇りに思う。命や平和、正義、歴史について学び、語ることのできる若者を育てていく責任がある」と3大学で連携して尹東柱の遺志を若者たちに伝えていく決意を述べた。 尹東柱の甥、尹仁石・成均館大名誉教授は「この記念碑に刻まれた詩と文を読んだすべての方が、尹東柱の思いと記念碑を設立した方々の願いを共に感じてくだされば」とし、「(記念碑が)清らかで平和な世界を作る出発点となり、若い方々に伝わることを願う」と挨拶した。 除幕式には尹東燮・延世大総長、小原克博・同志社大学長、李赫・駐日大使など約100人が出席した。

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