ロシアのスパイは何がすごいのか。日本大学危機管理学部教授の小谷賢さんは「第二次世界大戦中、日本やアメリカに工作員を送り込んで戦局に影響を与えていた。今でも世界中で暗躍しているロシアのスパイたちは、全員が他薦で採用されたエリート集団だ」という。『戦闘国家』(PHP新書)より、東京大学先端科学技術研究センター准教授の小泉悠さんとの対談を紹介する――。(第1回) ■独ソ戦を勝利に導いた伝説の非合法工作員 【小谷】信賞必罰に関して言えば、ロシアでは対外諜報活動で国家に貢献した人物を何十年もあとになってから表彰しますよね。そこで初めて「こんな凄腕のスパイがいたのか」と知ることになる。 【小泉】ロシアでは職業の記念日がたくさんあります。「外交職員の日」「潜水艦乗組員の日」など。そのなかに「非合法工作員の日」があるんですよ。 日本のあるジャーナリストがSVR(ロシア対外情報庁)本部に電話をかけて「非合法工作員の日があるということは、非合法工作員がいるということでしょうか」と聞いたら、窓口担当者に「いるに決まっているでしょう!」と言われたそうです(笑)。 SVRのウェブサイトを見ると、たしかに過去の英雄たちが堂々と掲載されていて、どの国で非合法工作活動に従事し、処刑されたかがわかります。そのなかには、日本でも名の知られたリヒャルト・ゾルゲもいます。 【小谷】ゾルゲは戦前に日本国内でジャーナリストとして活動し、日本政府や軍の機密をソ連に送り続けていた赤軍参謀本部(GRU(ロシア軍参謀本部情報総局)の前身)のスパイです。ゾルゲからの情報によって「日本はソ連に侵攻しない」と悟ったスターリンは、東方に配置していた部隊をモスクワに回し、独ソ戦に集中することができた。ゾルゲは最終的には日本の特別高等警察(特高)に逮捕され、1944年に処刑されます。彼が英雄視されるようになったのも、死後20年ほどしてからですね。 ■ゾルゲといえどもスパイ大国ロシアでは傍流 【小泉】1964年にソ連政府はゾルゲに「ソ連邦英雄」の称号を贈っています。歴代駐日ロシア大使は必ず、ゾルゲの墓参りをするそうです。また東京・六本木にある在日ロシア大使館の中にあるロシア人学校の名前は「リヒャルト・ゾルゲ記念学校」で、学校に入ると左側に「祖国の英雄ゾルゲ」と書かれたパネルが掲げられています。 ただ、ゾルゲはロシア国内で有名ではあるけれど、彼だけが特別に有名というわけではありません。ゾルゲはあくまで極東で活躍したスパイであり、ロシアの言論空間において圧倒的多数を占めているのは、やはり欧米で活躍したスパイです。 【小谷】第二次世界大戦中、米ルーズベルト政権内にはソ連のスパイが深く浸透していたことが、1995年に公開された「ヴェノナ文書」により明らかになっています。ロシアは情報機関による秘密工作能力、なかでも「影響力工作」と言われる外国政府組織にスパイを潜入させ、協力者を獲得する浸透能力にはすさまじいものがあります。