「父もまた被害者」治安維持法施行100年、恐ろしさ考える集会

今年で制定100年の治安維持法について考える集会が15日午後1時半から、さいたま市浦和区の埼玉県民健康センターで開かれる。ジャーナリストの青木理さんが弁護士らと対談する。入場無料。 集会の実行委員会で共同代表を務める加藤ユリさん(79)の父、金森熙隆(ひろたか)さんは、第2次世界大戦中、同法違反で逮捕された。1918年、現在の島根県出雲市生まれの金森さんは京都帝国大学医学部の学生だった1940年、福井県内で結核の実態調査をし、蔓延(まんえん)の背景に劣悪な生活環境や過酷な労働などがあると発表したことが、特高警察から「社会主義実現のための予備活動」とみなされた。 金森さんは、戦況の悪化に伴う繰り上げ卒業で、東京の陸軍医学校への入学が決まっていた。1942年9月、軍医学校へ送り出すため、出身の島根県の村をあげての壮行会が開かれた夜に、治安維持法違反の疑いで逮捕するため、京都から特高警察が訪れた。父親や村長らが「明日、盛大な見送りを受けるから逮捕はその後にしてくれ」と頼み込み、汽車の出発後に逮捕することになった。 翌日、村の婦人会らに見送られて駅まで行進。駅頭で村人らの万歳三唱に送られて汽車に乗り込むと、車内で手錠をかけられた。約1年2カ月間の拘留後、懲役2年、執行猶予5年の有罪判決が下った。釈放後は故郷へ戻り、戦後は開業医になった。 その後、金森さんは共産党に入党。だが、逮捕時は、治安維持法の取り締まり対象だった共産党員ではなかった。 加藤さんは「厚生省(当時)の要請で結核の調査をしたのに、犯罪とされたのはおかしい。小林多喜二のように拷問で命を落とした人もいるが、父もまた治安維持法の被害者」と語る。「集会を通して、多くの人々を弾圧した治安維持法の恐ろしさについて考える機会にしてほしい」と話す。 問い合わせは、治安維持法犠牲者国家賠償要求同盟埼玉県本部(048・824・0094)。

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