遺族の心を支えた「2箱の段ボール箱」 逮捕から38年、信じ続けた「やってへん」

滋賀県日野町で昭和59年に酒店経営の女性=当時(69)=を殺害し金庫を奪ったとする強盗殺人罪で無期懲役が確定し、平成23年に病死した阪原弘(ひろむ)さん=同(75)=の遺族が申し立てた第2次再審請求で、最高裁第2小法廷が裁判のやり直しを認める決定を出した。逮捕から38年。〝開かずの扉〟を破ったのは遺族の強い思いだった。 「父ちゃんはずっと刑務所にいて、荷物がたったこれだけなんやで。父ちゃんの人生ってなんやったんやろ」 阪原さんの死後、所持品として刑務所から返却されたのは、わずか段ボール箱2つ。それを囲んでいた家族が漏らした言葉を長男の弘次(こうじ)さん(64)は、はっきりと覚えている。「せめて無念だけでも晴らしたい」。家族が再審請求を戦うことを決意したきっかけだった。 子供への愛情が深く、明るく、歌うのが好きな父だった。逮捕されたのは事件から3年以上が経過した昭和63年。その前日、警察の取り調べを受けて帰ってきた阪原さんは、家族に「自白」したことを打ち明けた。 「殴られても蹴られても、自分がやったとは言わなかった。でも『娘の嫁ぎ先に行って家の中ガタガタにしてきたろか』といわれたときに我慢できんかったんや」 被害女性は阪原さんが母のように慕っていた人だったという。自分の家族を守りたいという思いから、噓の自白をしたのだろうか。「何もやってへん。誰も信じてくれなくても、お前らだけは信じてくれ」。そんな父の言葉を家族が疑うことはなかった。 一家は周囲から「殺人犯の家族」とみられ、追われるように故郷を捨てた。弘次さんも人前で慣れない演説を繰り返し、再審開始を求める署名を集めた。家族の人生は激変したが、あきらめようとは思わなかった。「一言で言えば父への思い。それくらい父のことが好きだった。何としても助けたかった」 家族の信念を裏付けるかのように、検察側が再審請求審になってから開示した証拠によって、警察の捜査に次々と疑義が生じた。 警察の「引き当て捜査」で、遺体遺棄現場や被害品の金庫の発見現場を阪原さんが正確に案内できた、というのが有罪の大きな根拠だったが、開示されたネガフィルムには、捜査員らが阪原さんを誘導したり、演技させたりしているような状況が記録されていた。

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