俗に情報提供のことを「タレコミ」(垂れ込み)という。あまり品のよい響きではないが、辞書によれば、「密告」の隠語だという。そのものズバリ「密告(たれこみ)」(瀬川昌治監督、1968、東映)と題する映画もあった。懲役を終えて出所したヤクザの組長(安藤昇)が、自分の犯罪を警察に密告(タレコミ)した人物を探して復讐する話だった。このように「タレコミ」は、本来は警察用語だったが、いまではマスコミ業界や一般社会でもふつうに使われている。 ジャーナリズム史上、有名な「タレコミ」といえば、ウォーターゲート事件(1972年)における〈ディープ・スロート〉だろう。映画「大統領の陰謀」でも描かれたが、ワシントン・ポスト紙に内部情報を「タレコミ」した謎の人物である。正確には内部情報というよりは、「あそこへ行ってこれを調べてみろ」と、具体的な取材先を教えたのだが、それでも、この〈ディープ・スロート〉のタレコミが後押しとなって、ニクソン米大統領は辞任に追い込まれるのである(後年、この謎の人物は、当時のFBI副長官だったと明かされた)。 もちろん、昭和の週刊新潮にも「タレコミ」は、ひんぱんにあった。いまのようにネットのない時代だけに、ほとんどは手紙か電話である。だが、それらが世間をゆるがすような大スクープになった話は、あまり聞かない。 今回は、1980年代、ある「タレコミ」に、1カ月間、振り回された週刊新潮OB、Y氏(68歳)の回想である。