「人質司法」という物騒な言葉を聞いたことがあるだろうか。あるいは、「99.9」という数字はどうだろうか。 日本では、刑事事件の裁判で起訴された際に有罪になる確率が99.9%とされている。 これは人気ドラマのタイトルでも有名になった数字だ。その背景にあると問題視されているのが「人質司法」だ。 ◆「無罪を主張すると解放されない」 「人質司法」とは、取り調べや裁判で否認したり黙秘したりすると、いつまでも保釈されず身体拘束が続くことをあらわす言葉だ。 容疑者や被告の身体がまるで“人質”に取られているような状態になるので、「人質司法」と比喩的表現で批判されている。 法務省はその存在を否定している。しかし、人身の自由が侵害されると同時に、罪を認めるよう物理的かつ心理的な圧力を加えることが目的だとされ、国際的にも大きな問題だと指摘されている。 実際、日弁連が公開しているデータ(2024年)によると、初公判前の保釈率は、被告人が犯罪事実を認めている場合は26.7%なのに対し、否認している場合は12.0%にとどまっている。罪を認めているか、認めていないかで単純に倍以上も保釈率が違うのである。 ◆「角川さんは死なないと出られません」 東京五輪汚職事件で贈賄罪に問われた出版大手KADOKAWA元会長の角川歴彦(つぐひこ)氏も、「人質司法」の被害者だとして、国を訴えている一人だ。 角川氏は2022年9月の逮捕後、無罪を主張し続け、226日間にわたり勾留が続いた。 逮捕当時79歳だった角川氏は2カ月後に持病の心臓病の手術を予定していた。しかし拘置所では対症療法しか許されず、加えてコロナウイルスに感染、白目をむいて失神したこともあった。 それでも3度の保釈請求は却下された。「角川さんは死なないと出られません」、拘置所の医師が放った言葉だ。 角川氏の保釈が認められたのは翌年4月。「このままでは命にかかわる」と危機感を募らせた弁護団が、証拠の取り扱いに関する検察側の要求を不本意ながら一部認めたあとだった。生死の境をさまよった角川氏は車椅子に乗り、拘置所をあとにした。逮捕前より体重は8キロ減っていた。 そして、2026年1月の裁判での判決は懲役2年6カ月、執行猶予4年の有罪判決だった。 ◆冤罪の温床となる「人質司法」 裁判官の責任 角川氏は検察の取り調べに対して否認したことで勾留が長期化し、肉体的、精神的苦痛を受けたとして、国に2億2000万円の損害賠償を求める訴えを起こしている。 日本の刑事司法の在り方そのものを問う「角川人質司法違憲訴訟」である。 5月22日、第7回口頭弁論が開かれ、その後、報告会が行われた。 「まるで風車に挑むドン・キホーテのようだと思った」 KADOKAWAの前会長、角川歴彦氏がもらした本音だ。 「99.9%の残り0.1%(無罪)になる望みを持っていた。何冊も裁判の小説を出版してきたが、犯罪の証拠がなければ有罪になることはないと思っていたが、現実は違った」とも語った。 弁護団の1人、弘中惇一郎氏は「人質司法」の“悪例”として、自らが手がけたカルロス・ゴーン事件の一幕を紹介した。 ゴーン被告は保釈後も妻キャロルさんとの接触が禁止されていたが、2019年11月、弁護士立ち会いの下、オンラインでの1時間の面会が許された。画面越しの面会だった。 その後、再面会をリクエストすると、「ついこの間面会したばかりなのに、まだ話すことがあるのか?」と言われ、却下。このとき、ゴーン被告は日本の司法制度に絶望したという。 だからと言って日本の刑事手続きや法制度を無視して国外に逃亡することは決して許されることではないが。 報告会には大川原化工機えん罪事件の相嶋さんも登壇した。父親の相嶋静夫さんは不当に逮捕され、勾留中に胃がんが見つかったにも関わらず、8回の保釈請求が認められず、治療が遅れ、命を落とした。 相嶋さんの死後、検察は公訴取り消しを申し立て、事件がえん罪だったことが明らかになった。つまり、全く必要のない逮捕・勾留だったのだ。 相嶋さんの遺族は4月6日、「父を死に追いやった裁判官37人の責任を問う」と、国に損害賠償を求める訴えを起こした。相嶋さんの長男は「無実の人を捕まえてしまう恐怖より、犯人を逃してしまう恐れの方が勝っているのではないか」と推察する。 国際的に評価されている日本の法制度だが、「現状を知ると驚く法律家は少なくない」と訴えたのは人権NGO「ヒューマン・ライツ・ウォッチ」日本代表の土井香苗さんだ。 日本では家族とも接見が出来ない「接見禁止命令」が存在し、取り調べに弁護士が立ち会えないことを知ると驚愕すると言う。 ◆「人間の証明」裁判 問われる裁判官の資質 現在82歳になる角川氏。 “人生最後の戦い”と位置づけ、訴訟に臨んでいる。 日本の裁判はとにかく時間がかかることも大きな問題の一つだ。角川氏にその点を尋ねると、「10年単位の戦いを覚悟しています。まだまだ死ねません。長生きしなくてはなりません」と力強く答えた。筆者も、まだまだ続くであろう裁判を見届けたいと考えている。 話は変わるが、私が個人的によく知っている青年が、大学在学中に司法試験に合格した。 大学生活が2年残っている上、司法修習もまだ。弁護士を目指すのか、あるいは裁判官や検察官を目指すのか。「どうするの?」と聞いてみた。すると、「僕には人の人生や命を左右する仕事である裁判官は怖くて無理だと思う」との答えが返ってきた。 人質司法の取材を進める今、こんな考えを持つ法律家にこそ、裁判官になって欲しいと心から思った。 【執筆 フジテレビ報道局上席解説委員 中本智代子】