1994年3月、夢を追ってアメリカへ渡った日本人の青年が突如、強盗に襲われ銃で撃たれ命を落としました。 亡くなったのは、千葉県の伊東拓磨さん(19)です。「本場のハリウッドで映画を学びたい」と夢に向かって進んでいた中で、事件によって断ち切られました。 拓磨さんの弟で弁護士の伊東秀彦さんが6月24日、香川県高松市で開かれた講演会で兄を失った当時の心境を語りました。 あれから30年あまり。残された家族は、深い悲しみだけでなく、「異国の法制度」や「周囲の何気ない言葉」、そして「終わりの見えない裁判」とも戦い続けてきました。 伊東さんたち家族は、兄の遺骨とともに日本に帰国しました。そして、生活は一変します。 (伊東秀彦さん) 「帰国後の生活なんですけれども、混乱さめやらぬ中、私にとっては中学校2年生の新学期が始まることになりました」 両親も、まもなくして仕事に復帰し日常を取り戻そうとするも、周囲から掛けられる何気ない言葉に困惑します。 (伊東秀彦さん) 「母親が言うには、周囲から『あら元気ね』とか、『自分だったら息子亡くしたらずっと寝込んでしまうわ』と言われたことがあったようです」 「そういった方に悪意がないということは、母親も私も分かっているところなんですけれども、心が弱っていたので、そういった言葉にも傷ついていました」 「他にも『何かいくらか補償とかもらえるの』とか、あるいは(兄が渡米した日が)8月16日というのが、いわゆる送り盆にあたる日にちだったため、アメリカ留学に出発した日が『送り盆に渡米したのがいけなかったのではないか』とか、あるいは『日々のなんかの心がけが影響したのかな』っていう言葉を受けたこともあったようです」 ■根拠のない報道による二次被害 さらに、遺族を追い詰めたのは、根拠のない報道でした。それらに対して、伊東さんは怒りを覚えたと言います。 (伊東秀彦さん) 「また、事件からしばらく経ってからの大手新聞が何かの検証記事か何かで、うちへの取材もなしに、『裕福な日本人留学生が、貧困層である犯人を刺激したのではないか』と書いたことがありました」 「それ以外の新聞社では、『日本人留学生は、海外で薬に手を出すなど豪遊しているものも多い』とか、あたかも兄もそのような留学生であったかのような記事が出たこともありました」 「私は中学校2年生の血気盛んな年頃でしたので、こういった記事を見るたびに抗議しようと憤慨していましたが、両親のほうは疲れ果てて、私の言葉に何か反応するというものでもなく、抗議などをすることもありませんでした」 「現代はSNSなんかもありますので、その内容に苦しんでいる被害者の方も多く見るところです」