田中角栄元首相が逮捕されて50年になる。米国で疑惑が浮上し、「戦後最大の疑獄」と称されるロッキード事件とはいったいどのようなものだったのか。 Q ロッキード事件の発覚の経緯(けいい)は。 A 1976年2月、米国上院の小委員会で、米ロッキード社が日本を含む各国で、航空機の売り込みのために多額の賄賂(わいろ)を贈っていたとする疑惑(ぎわく)が浮上した。ロ社の当時の副会長が「日本の政府高官にも渡った」と証言した。 Q 日本での賄賂の疑いは。 A 大きく三つの疑惑に分かれる。一つ目は、ロ社の日本での販売代理店だった丸紅を通じ、田中角栄元首相に渡ったとされたもの。二つ目は、全日空が旅客機(りょかくき)導入のリベートをロ社に要求し政界にばらまいたとされたもの。三つ目は、大物右翼のロ社「秘密代理人」から当時の国際興業社主に渡ったとされたものだ。 ■繰り返された「記憶にございません」 Q その後、日本国内ではどのような動きがあったのか。 A 国会では国際興業社主や全日空社長、丸紅会長らの証人喚問がおこなわれたが、証人たちは「記憶にございません」と繰り返し、詳しい事情は分からないままだった。 Q 捜査は。 A 東京地検が警視庁、国税庁との合同捜査に乗り出した。捜査の過程で、田中角栄氏が首相在任中の72年、丸紅側から「全日空がロ社の航空機を採用するよう働きかけてほしい」と協力を求められ、その後見返りとして5億円を受け取った疑いが浮上した。日本の検事の立ち会いのもと、米国の法廷でロ社の元副会長への「嘱託尋問」が行われた。元副会長らは疑惑について証言した。東京地検は疑惑発覚から約半年後の76年7月27日、田中氏を外為法(がいためほう)違反容疑で逮捕。その後同法違反と受託収賄(じゅたくしゅうわい)の罪で起訴した。首相在任中の行為が罪に問われたケースは他に例がない。 Q 田中氏の裁判は。 A 田中氏は起訴された内容を争った。83年に東京地裁判決で懲役(ちょうえき)4年を言い渡され、控訴も棄却された。上告審の最中だった93年12月に死去した。 田中氏に賄賂を渡したとして起訴された丸紅の元会長は、95年に最高裁で有罪が確定した。ただ、最高裁判決はロ社の副会長らの嘱託尋問によって得られた調書は証拠として採用しなかった。日本の検察当局は尋問に際して「不起訴」を宣言し、日本の法律にはない刑事免責を与えたが、判決は不採用の理由として、日本に免責の規定がないことをあげた。 ■政財界の16人が起訴「戦後最大の疑獄」 Q 田中氏や丸紅幹部の他に罪に問われたのは。 A 大臣経験者や全日空の幹部らも起訴された。田中氏らを含め、起訴されたのは16人で、「戦後最大の疑獄(ぎごく)」と位置づけられる。このうち11人の有罪が確定。5人は公判中に死亡した。 刑事訴追されなかった政治家の中にも、米国の捜査資料に名前があると報道された人が複数おり、「灰色高官」とも称された。 Q 大規模な政治とカネの事件。制度などに変化は。 A 政治資金規正法が改正され、政治家個人への献金の収支報告が義務づけられた。ただ、その後もリクルート事件や東京佐川急便事件など、企業から政治家への不透明な資金が明るみに出るケースは続く。(久保田一道)