いやいやいや「良き話」じゃないよ サッカー森保一監督の発言も純度の高いヒムパシー 北原みのり

作家・北原みのりさんの連載「おんなの話はありがたい」。今回は「ヒムパシー」について。 * * * もう10年以上前のことだが、男友だちと言い争いになったことがある。 某有名高校で盗撮事件が起きたのだ、と彼が話しはじめた。たまたま彼の知人の娘が、その学校に通っていた。盗撮の犯人は2年生の男子生徒で、被害者はクラスメートの女子だった。その後、女子生徒は被害のトラウマから登校が難しくなり、学校は男子生徒の退学処分を検討したが、退学に抗議する嘆願書が生徒の親たちから出され、結果的に男子生徒は退学をまぬがれたという話であった。 聞きながら話の展開に雲行きの危うさを感じていた。彼の声のトーンから「良き話」というくくりでこの「事件」が語られているのがわかったからだ。いやいやいや違うでしょう、それって「良き話」じゃないよ、「事件」だよ?!と心の中で叫んだことをそのまま、少し揉めるかもねと思いつつ私は声にした。 「被害者からすれば、加害者と同じ場で学ぶなんて、ムリな話。しかも、大人たちが一丸となって庇うなんて、女の子がかわいそうです」 私の反応が彼の期待していたものと違っていたからか、その男性は憮然としながらもこう言った。 「それは、間違ってる。間違いを犯した子どもに道を示すのが教育です。若いうちの一度の失敗で人生を奪うべきではない」 それから私たちは混じり合わない会話に突入し、どちらも譲らず最後は黙った。彼は私の言うことを全否定していたが、私は彼の言うことを一般論として理解できるだけに、もどかしかった。私だって、正義感の強いリベラルな彼と同じようにシンプルに信じたい、「教育とはチャンスを与えることだ」と。そして加害者にも更生の道が与えられるべきだと。でも一方で、彼の“信念”が、マッチョで嘘くさく性差別的に感じるのを止められなかった。 その学校は、難関校として知られていた。

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