『あなたを奪ったその日から』に見た人間ドラマの真髄 曖昧さゆえのリアリティが生む余韻

北川景子主演のドラマ『あなたを奪ったその日から』(カンテレ・フジテレビ系)が6月30日に最終回を迎えた。食品事故で子どもを失った母親・紘海(北川景子)が、復讐のために事故を起こした惣菜店の社長・旭(大森南朋)の娘を誘拐することから始まる物語。そのログラインを聞いた時、とてもじゃないけれど、幸せな結末は想像できなかった。 角田光代原作の映画『八日目の蝉』のラストを強烈に記憶していたのもある。同作では、主人公が不倫相手の娘を誘拐し、実子として育てるように。しかし、4年にわたる逃亡劇の末に居場所が特定され、主人公は逮捕、娘と引き離される。いつの間にか母性に芽生えた母親の「その子はまだご飯を食べていません!」という台詞、ママと叫ぶ娘の泣き声があまりに切なく、未だ頭にこびりついて離れない。結局、娘は本来の家に馴染めず、大人になっても苦悩する。世間的には、どんな理由があろうと罪は罪。紘海と、彼女に美海(一色香澄)と名付けられた旭の娘も同じような顛末を辿るだろうと思っていた。 ところが、最終的に紘海は許し許され、美海との生活を続けることになる。ターニングポイントとなったのは、旭が取締役を務める会社に紘海が入社したことだろう。本作は3部構成になっており、1部では紘海と美海が“本物”の親子になっていく過程、3部では紘海の娘・灯(石原朱馬)の命が奪われた食品事件の真相と、紘海の11年におよぶ復讐劇の結末が描かれた。最も時間を割き、丁寧に描かれたのは、その間に挟まれた2部ーー紘海の旭に対する心情の変化だ。 美海との平穏な暮らしのために一度は復讐心を手放した紘海。しかし、旭が自分の犯した罪を忘れ、自分の娘が誘拐されてものうのうと生きているという事実が彼女を再び復讐へと駆り立てる。灯はなぜ死ななければならなかったのか。真実を知るために旭に近づいた紘海だが、思ってもみなかった相手の顔に困惑する。 旭は食品を扱う仕事に誰よりも誠実に向き合っていた。その背景には、自分の管理ミスで灯の命を奪ってしまった過去がある。本当の意味で過ちに気づいたのは萌子がいなくなってから。ある日突然、子供を失う苦しみを味わい、初めて旭は犯した罪の重さを自覚したのだ。つまり、この時点で「自分と同じ苦しみを味わわせたい」という紘海の復讐は果たされたことになる。しかし、紘海の心は晴れない。 その原因となる、大森南朋の善人と悪人の間を行き来する演技に、視聴者もまた心を揺さぶられたのではないだろうか。特に秀逸だったのは、「仕事なんてしてらんないよ、こんな天気の良い日に」と笑う場面。初見の時は怠慢で、いかにも食品事故を起こしそうな人物に見えた。あの日、旭は6店目の出店が決まり、浮かれ気分で事故が起きた1号店に立ち寄ったことが後に明らかとなる。真実を聞いた上で観返すと、なるほど初心を忘れない人格者に見えてくるではないか。そんな紘海の台詞「人の心は“万華鏡”。どんな人でも見る角度を変えると、ガラリと違う顔が見えてくる」が、このドラマの核になっているような気がした。 灯の死は、旭の長女・梨々子(平祐奈)が誤ってアレルギー食品のエビを混入させたことによる不運な事故だったことが明らかになる。旭は娘の将来を守るために事実を隠蔽した。事故によって灯を失った紘海、隠蔽に加担したことへの自責の念に死ぬまで苦しめられた鷲尾(水澤紳吾)の娘・砂羽(仁村紗和)が、真実を知った時の当惑の表情にリアリティがある。一体、誰を責めたらいいのだろう。いっそ梨々子が意図的にエビを混入させていれば、旭が自分の保身のために事実を隠蔽していれば、まだ楽だったかもしれない。しかし、梨々子も旭も罪は犯したものの、完全な悪人ではなかった。現実社会で起きる事件・事故も調べれば調べるほど、容易に評価を下せないことが多い。冷静な目で様々な角度から見つめるにはグレー(曖昧さ)に耐え得る力が必要だ。だから、人はつい白黒つけようとして誰かを悪人に仕立てあげて断罪する。勧善懲悪の復讐ものが人気を集めるのは、せめてフィクションの世界ではカタルシスを味わいたいという気持ちの現れでもあるのかもしれない。 だが、本作は従来の復讐ものとは異なる結末を導き出した。ともに子ゆえの闇に迷った紘海と旭は、子の光に進むべき道を照らされる。「人を受け入れる強い大人になってほしい」という親としての願いから、まずは自分たちが萌子/美海にその背中を示した2人。 かたや紘海とは真逆の道を辿ったのが、玖村(阿部亮平)だ。梨々子が流したデマで人生を奪われた玖村は、憎しみと同時に許したい気持ちを抱えていたのではないだろうか。だからこそ、許す理由を見つけるために梨々子と再び関わりを持ったのだろう。しかし、どうしても許すことができなかった。誰かを憎しみ続けるのは苦しい。その苦しみを梨々子にも味わわせたくて、食品事故の真相をSNSに拡散した玖村。ところが、梨々子は因果応報を受け入れて前に進む。許されるにはまず恨まれなければならない。相手を許すことも、許されることもなかった玖村の慟哭が忘れられない。阿部亮平は奥行きある演技で裏の主人公といっても過言ではない玖村の人生を生きた。 そして「復讐」ともう一つ、このドラマのテーマになっていたのが「親子愛」だ。始まりは歪だったかもしれないが、共に年月を重ねていく中で親子になっていった紘海と美海の姿を通して、互いを思い合う気持ちさえあれば血縁がなくても家族になれるということを示した本作。2人の何気ないやりとりは束の間の癒やしで、特に思春期を迎えた美海に紘海が戸惑いながらも向き合おうとする中盤の展開は『義母と娘のブルース』(TBS系)の様でもあった。子供を失った悲しみから復讐に取り憑かれる紘海のサスペンスフルな顔、どこにでもいる一人の母親としての顔を使い分け、back numberが手がける主題歌のタイトル「ブルーアンバー」のように多面的な物語を立ち上がらせた北川。一度だけではなく、何度も角度を変えながら反芻したくなる作品だ。

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