『戦争と平和』や『カラマーゾフの兄弟』と並んで書棚に置かれるべき作品―ゲルツェン『過去と思索』沼野 充義による書評

◆「幻の名著」が読まれるべき時代が来た 一八二七年の夏、まだ十代半ばの純真な二人の少年が小高い丘から町を見渡していた。「太陽は沈みかけ、教会の丸屋根がそこかしこに輝き、町は山の下にどこまでも果てしなく広がっていた。爽やかな風が吹いてきた。わたしたちは立ち止まった。そのまま、互いに身を寄せ合った。そしていきなり抱き合って、モスクワ全市を目の前にして、わたしたちの生涯を自分たちの選んだ闘いのために捧げることを誓った」。少年たちはこの若き日の誓いを守り、一生をかけて、専制と闘ったのだった。二人の名前は、『過去と思索』の著者アレクサンドル・ゲルツェン(一八一二―七〇)と、彼の親友ニックことニコライ・オガリョーフ(一八一三―七七)。近代ロシア史上名高いこの「雀が丘の誓い」は、本書第四章に出てくる。 ゲルツェンは一九世紀ロシアを代表する思想家・作家。『過去と思索』は、彼の「来し方と想い」を綴(つづ)った回想録であり、ヨーロッパの自伝文学の白眉(はくび)として知られる。一九九八~九九年に金子・長縄共訳による初めての全訳(筑摩書房)が出たが、それも絶版となって久しい。今回全七冊で完結した岩波文庫版は、その旧訳に長縄氏が全面的に手を入れたもので、この「幻の名著」がようやく多くの読者の手の届くものになったことを喜びたい。これは、『戦争と平和』や『カラマーゾフの兄弟』と並んで書棚に置かれるべき作品である。 あまりに多彩な内容の本なので要約は難しい。名門貴族の家での生い立ちから、危険思想の持ち主として逮捕、ロシアの地方都市への流刑、さらにロシアを去って西欧へ、一八四八年のパリで革命が潰(つい)え反動が勝利するのを目撃、ロシア政府からの再三の帰国命令を拒否して亡命者となる決意をし、イギリスに渡って「自由ロシア印刷所」を設立し、帝政下ロシアを批判する雑誌・新聞を刊行して当時の革新陣営の言論界を主導し……という大知識人の生涯だ。ここではいくつかの側面だけに絞らざるを得ない。 まずモスクワの幼年時代から地方都市への流刑の時代を回想した部分は、ロシア文学の得意とするリアリズム文学の一級品として読める。これは「家族年代記」でもあり、流刑時代の人物の描写では筆が冴(さ)えてゴーゴリ的風刺にも近づく。 西欧に出てからの回想は、「亡命文学」の先駆になっている。よく知られているように二〇世紀のロシアは革命後多くの亡命者を生み出したが、ゲルツェンはそのはるか前に、みずから亡命の道を選び、パリやジュネーヴやロンドンで身の回りの様々な亡命者群像を描き出した。彼は財産に恵まれ、フランス語を母語同様に操ったから、多くの亡命者が直面する苦境とは無縁だったはずだが、それでも「ロシア人にとって亡命というのは(……)生でもなく、死でもなく、むしろ、死よりも忌わしいものです」と言っていたという。 さらに『過去と思索』は意外なことに、男女の愛のもつれをまるで小説のように描いた傑作でもある。ドイツの若い政治詩人ヘルヴェークがゲルツェンの妻と恋に落ち、ヘルヴェーク夫妻とゲルツェン夫妻の前代未聞の共同生活が始まって四人の関係は泥沼にはまる。「家庭の悲劇の物語」と題されたこの挿話は、おそらくどんなフィクションにもまして濃密に悩ましい。 そして『過去と思索』は、ゲルツェンという「ロマン的亡命者」の思想の閲歴を辿(たど)る思想文学でもある。「西欧派」の論客として「スラブ派」と激しい議論を戦わせたモスクワ時代、西欧文明に対する幻滅を味わったパリ時代を経て、彼はロンドンでロシアの自由な言論のために戦い続けた。裕福な貴族でありながら革命を語るという逆説的な立場を生きながら彼が練り上げた思想については、第七巻の巻末に付された長縄氏による「ゲルツェン――時代・人・思想」という付論が解き明かしている(さらに詳しくは長縄氏による浩瀚(こうかん)な『評伝ゲルツェン』[成文社、二〇一二年]をひもといていただきたい)。評者なりにそれを要約すれば、ゲルツェンはあくまでも個々の人間の尊厳を守り、理性を信頼し、絶対的な強権に粘り強く抵抗しながら社会正義を追求し続ける、穏やかな理想主義者だった。二〇世紀になってレーニンの率いるボリシェヴィキが政権を奪取して築いたソ連という「社会主義国家」は、ゲルツェンの夢見た社会主義とは似ても似つかない怪物だった。二〇世紀の人類はどこで何を間違えたのか? じつは評者は二六年前、筑摩書房版が出た時に同じこの毎日新聞の紙面で本書の書評をしている。その時は、まさか、こんなに後になって再度本書を取り上げることになるとは夢にも思わなかったのだが、長縄氏があとがきで述べる通り、「ゲルツェンが読まれるべき時代が到来した」のだ。ゲルツェンがいまロシアで生き返ったら、きっと強権に追われてまた亡命の身となり、ウクライナを応援するに違いないと、私は想像する。自由を求める闘いはいまでも続いているのだ――ロシアで。いや、アメリカでも。世界中で。 [書き手] 沼野 充義 1954年東京生まれ。東京大学卒、ハーバード大学スラヴ語学文学科に学ぶ。2020年7月現在、名古屋外国語大副学長。2002年、『徹夜の塊 亡命文学論』(作品社)でサントリー学芸賞、2004年、『ユートピア文学論』(作品社)で読売文学賞評論・伝記賞を受賞。著書に『屋根の上のバイリンガル』(白水社)、『ユートピアへの手紙』(河出書房新社)、訳書に『賜物』(河出書房新社)、『ナボコフ全短篇』(共訳、作品社)、スタニスワフ・レム『ソラリス』(国書刊行会)、シンボルスカ『終わりと始まり』(未知谷)など。 [書籍情報]『過去と思索』 著者:ゲルツェン / 翻訳:長縄 光男,金子 幸彦 / 出版社:岩波書店 / 発売日:2024年05月17日 / ISBN:4003860403 毎日新聞 2025年6月14日掲載

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