【社説】「12・12軍事反乱」の被害者キム・オラン中佐に46年ぶりの国家賠償判決

1979年の12・12軍事反乱(粛軍クーデター)当時、新軍部の銃弾によって戦死したキム・オラン中佐の遺族に国が損害賠償をしなければならないという判決が下された。1979年にキム中佐が死亡してから46年たって、国の責任が司法的に確認されたのだ。軍を動員して民主主義を圧殺しようとする試みが、昨年の12・3内乱で半世紀ぶりに再演されたことから、今回の判決がより一層意味深く感じられる。 ソウル中央地裁民事911単独のユ・チャンフン部長判事は12日、キム中佐の姉のKさんなど遺族10人が国を相手取って起こした損害賠償訴訟で、国が原告らに計3億ウォン(約3200万円)を支払うよう判決を下した。キム中佐は12・12軍事反乱当時、チョン・ビョンジュ特殊戦司令官の秘書室長で、軍事反乱に加担した第3空輸旅団が特殊戦司令部を襲撃した際、チョン司令官を守るために最後まで銃撃戦を行った末に死亡した。当時35歳だった。 キム中佐は不法な軍事反乱に抵抗して死亡したが、彼の死は権力を奪った新軍部によって徹底的に歪曲された。当時、保安司令部はキム中佐に対する銃撃は「軍の正当防衛」だったと発表した。遺体もはじめは特殊戦司令部の裏山に埋葬されていたが、それから2カ月後になってようやく顕忠院に移された。武装暴動・反乱などに対抗して死亡した場合、「戦死」として礼遇しなければならないが、キム中佐は事故による「殉職」として処理された。2022年になって軍死亡事故真相究明委員会が「キム中佐は特殊戦司令官を不法に逮捕しようとした反乱軍に対抗し、銃に撃たれて死亡した」とし、キム中佐の死亡を「戦死」と訂正した。遺族たちは「これまで正当なお見舞いや国家報勲の処遇を受けることもできず、故人をまともに哀悼できない精神的苦痛を受けた」として、昨年訴訟を起こした。12・12軍事反乱当時、国防部哨兵として反乱軍の銃弾に倒れたもう一人の犠牲者、チョン・ソニョプ兵長の遺族も昨年国家賠償判決を受けた。 憲法を守護する軍人の使命を果たすために命を捧げた軍人たちが、正しく評価されず、遺族たちも言葉では言い表せないほどの苦痛を経験しながら生きてきたことは、韓国現代史の痛ましい悲劇だ。軍事反乱の加担者を厳正に処罰し、反乱に抵抗した人々をきちんと礼遇することで、歴史的教訓を残さなければならなかった。このような過程が不十分だったことも、12・3内乱が起きた背景の一つといえる。軍の違憲的な政治介入の可能性を永遠に防ぐためには、12・3内乱加担者に対する徹底した懲罰が必要である一方、これに抵抗して軍人の本分を守った人々に対してはふさわしい評価が求められる。 (お問い合わせ [email protected] )

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