「アイム・スティル・ヒア」軍事政権の弾圧と闘い生き抜いた実在の女性

不条理に直面した時にこそ、人の真価が問われる。ひたすら嘆き悲しむか、耐え忍ぶか。本作の主人公は、そのどちらでもない。 エレガンスとレジリエンス( 強靱性・きょうじんせい)を武器に、過酷な時代を生き抜いた実在の女性をブラジルの国民的俳優フェルナンダ・トーレスがしなやかに演じた。「モーターサイクル・ダイアリーズ」(2004年)のウォルター・サレス監督が16年ぶりに母国を題材に撮った、ブラジル映画初の米アカデミー賞国際長編映画賞受賞作。 東西冷戦を背景に、軍事独裁政権が支配した1970年代のリオデジャネイロ。ある日、元国会議員のルーベンス・パイヴァ(セルトン・メロ)が理由も告げられず連行され、やがて妻エウニセ(トーレス)も連行される。エウニセは釈放されたものの、夫の消息はわからないまま、時は流れていく。 ブラジルでは64年から21年間の軍事政権下、反体制派らの逮捕、拷問が横行した。パイヴァ夫妻の息子で作家のマルセロ・ルーベンス・パイヴァの回想録を原作に、ムリロ・ハウザーとエイトール・ロレガが脚本を手がけた。ルーベンスは拷問の末に殺されたことが判明。本作は数十年をかけて、夫の死の責任を国に認めさせた妻の視点に立つことで、時代の闇に迫った。 沈黙を強いられた世相を反映してか、サレス監督の語り口は抑制的だ。拷問など直接的描写はない。心に残るのは、家庭用ビデオの視点でドキュメンタリー調に映したパイヴァ家の日常。それが、かえって家族の団らんを脅かした軍事政権の罪深さを強調し、弾圧と闘った人たちへの連帯を感じさせる。 残されたエウニセが弁護士に転身し、夫の死の究明と、同じように国家に虐げられた先住民の権利保護に身を投じていくのが物語の眼目だ。悲劇の中で自らを再発見するエウニセ役のトーレスの演技には品格がある。晩年期を演じたのは、トーレスの母親で名優のフェルナンダ・モンテネグロ。ほとんどセリフがなく、眉の動きやまばたきで誇り高い人生を表現した。モンテネグロは、サレス監督の初期の代表作「セントラル・ステーション」(98年)の主演で知られる。長年にわたる名匠と母娘の協働が、本作で美しく結実している。 エウニセは強い意志と冷静さで、感情に流されそうになる内なる自分を従わせた。本作は、非業の死をとげた強制失踪者の鎮魂歌と言えるが、個人の自由や権利を抑圧した軍事政権への痛快な復讐(ふくしゅう)劇にも見える。 (読売新聞文化部 木村直子)

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