【プレイバック’15】異常な性衝動にまみれた半生…「寝屋川中1男女殺害」加害者の〝身勝手人生〟

10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックを今ふたたびふり返る【プレイバック・フライデー】。今回は10年前の’15年月9月11日号掲載の『大阪中1遺棄事件 本誌がつかんだX容疑者の性癖 家庭 底なしの邪悪』を紹介する。 ’15年8月13日未明、大阪府・寝屋川市の中学1年生Aさん(13)、B君(12)の男女2人が行方不明となり、同日深夜にAさんの遺体が、8日後の21日にはB君の遺体が発見された。逮捕されたのは契約社員のX(45)。『FRIDAY』が取材すると、Xの異常な性衝動にまみれた45年間の悪事が明らかになった(年齢・肩書はすべて当時のもの。《》内の記述は過去記事より引用)。 ◆早朝の商店街で中学生男女が行方不明に ’15年8月21日午後8時20分頃、大阪・城東区の路上でAさんの死体遺棄容疑でXは逮捕された。同じ中学校に通っていたAさんとB君は8月13日早朝、京阪・寝屋川市駅近くの商店街付近にいるところをXに声をかけられ、連れ去られたとみられた。当時の本誌では次のような証言を掲載している。 《「アーケード街の防犯カメラは午前5時8分、商店街を行ったり来たりする2人の姿を捉えていました。それから約3分後の5時11分、駅近くの別の防犯カメラに寝屋川市駅のロータリー方向に向かうXの軽ワゴン車が映っており、6分後の17分には来た方向に走り去る姿を捉えている。この短い時間に、Xが寝屋川市駅近くで2人に声をかけ、拉致した疑いが強い」(全国紙社会部記者)》 それから18時間後――。同日午後11時半頃に高槻市内の駐車場で、全身を刃物で30ヵ所以上も刺され変わり果てた姿のAさんが発見される。Xが逮捕された8月21日にはB君の遺体も発見された。Aさんの死因は窒息死、B君の遺体は腐敗が進んでおり、一部は白骨化していた。2人とも顔面を粘着テープでグルグル巻きにされており、Aさんの遺体には骨にも達するほどの刺し傷や切り傷があった。 ◆暴力と監禁を繰り返して12年間服役 Xは、大阪府・枚方市内の公団で育ったという。共働きの両親と妹1人のどこにでもありそうな家庭だったそうだ。しかし、中学時代には幼い男の子に公衆便所でイタズラして鑑別所に行ったり、その後も同様の悪事を繰り返して少年院に。出てきてからも地元の暴走族に入ってやりたい放題だったという。「根っからの悪人なんや、アイツは」と当時を知る知人は語っていた。 その後も京都のヤクザに出入りし、20代の一時期を刑務所で過ごしたというXは’02年、32歳のときに、「寝屋川市駅はどこや?」と男子中学生に声をかけ、携帯電話や現金を強奪。強盗、逮捕監禁などの容疑で逮捕された。同じような手口で17歳の少年2人を監禁し、顔にヤケドを負わせるなど、男子中高生ら6人に対するわいせつ目的の監禁事件を起こしていた余罪も発覚し、12年間服役していた。Xと刑務所で知り合ったという人物はそのときの様子を次のように語る。 《「刑務所内でXは『覚醒剤の密売で捕まった』と言ってましたが、出所後に再会したとき、『実はあのときは、強盗監禁で捕まったんや』と白状してきたんです。『小さい子は妹とか弟みたいで一緒にいて楽しいし、それにカワイがれるやん』と言ってたから、アイツがバイセクシャルのロリコンだというのも知っていました」》 ’14年10月に出所後、12月にXはインターネットの求人サイトで原発の除染作業員の仕事を見つけ、福島県内で働き始めた。当時の同僚が語る。 《「Xがウチに来たのは、7月下旬のことです。前の現場だった南相馬の宿舎に彼女を引っ張り込み、女人禁制なのに1週間もバンバンやりまくって、寮中にあえぎ声が漏れてクビになったらしい。それとは別に『獄中結婚したカミさんと、連れ子がおる』と言っていたこともあります。 勤務態度はビックリするほどマジメでしたが、仕事が終わるとセックスのことしか頭になくなる。バイアグラを常備していて、『仙台のデリヘルで3回抜いた』とか自慢していました。寮の風呂場で男性器を見たら、凸凹していたので面食らっていると『真珠が25個も入ってんねん。オンナが喜ぶやろ』と笑っていたんです。一緒にコンビニに行くと、漫画本を立ち読みしている男の子を食い入るような目つきで見ていたこともありました」》 ◆’15年夏の〝大阪殺人行〟 ’15年8月9日から16日までの夏期休暇中に、Xは実家の寝屋川へ帰省。途中で東京に寄り、2日続けてアダルトサイトの掲示板で見つけた乱交パーティーに参加し、秋葉原でもナンパを試みたという。その行程をLINEやFacebookで知人に逐一報告していた。そして13日の未明、寝屋川駅付近でAさんとB君に牙を剥いた。この日のXの行動はとくに目まぐるしい。 《13日の午前11時半頃には、アリバイ工作のように堺市にある大阪刑務所でかつての刑務所仲間と面会。その後、柏原市に移動し、B君の遺体発見現場の近くのコンビニで粘着テープを購入。再び寝屋川方面に戻り、高槻市の駐車場にAさんの遺体を棄てて寝屋川市の自宅に戻ったのが、午後11時半頃のことだった》 犯行後の8月16日にXは通天閣へ観光に行き、車で職場のある福島に帰る。17日から19日まで除染作業をしたが、20日には「風邪がぶりかえした」と言って欠勤。同日、大阪へ戻っていた。 ’21日午前1時頃、北区堂山町のコインパーキングでXの車を発見した府警の捜査員に19時間追尾された後、同日夜に城東区の路上で逮捕された。追尾されている途中にB君の遺体遺棄現場に立ち寄ったことから、遺体発見へと至っている。 焦点はXが2人を殺害したかどうかに絞られた。だが、逮捕当初は雑談に応じていたXは、黙秘に転じていた──。 ◆死刑判決後も周囲を振り回す XはAさんとB君2人を殺害した罪で起訴され、’18年11月から裁判が行われた。XはAさん殺害については「殺すつもりはなく、大声を出すので口を押さえたら手がずれて首を絞めてしまった。ショックを与えれば蘇生すると思い、カッターで傷つけた」と傷害致死を、B君についても熱中症による死だとして無罪を主張。裁判所は、計画性はなかったとしながらも、「突発的に発生したきわめて残忍な事件」として2人の死はXによる殺人と認定。Xの主張をほとんど否定して’18年12月、死刑を言い渡した。 この事件はXの犯行だという直接証拠はなく、犯行の動機などもよくわからないままだった。とくにB君の殺害については遺体の状態が悪かったために謎は多く、争う余地はあった。当然のことながら、弁護側は即日大阪高裁に控訴する。しかし、思わぬ事態が起きた。’19年5月19日にXは突然、自ら控訴を取り下げたのだ。拘置所職員とのトラブルが原因で自暴自棄になったのが理由だという。 弁護人はこの控訴取り下げの無効を裁判所に申し入れた。大阪高裁は無効の判断をしたが、検察はこれを不服としたために、取り下げが有効か否かの審理がしばらく続くこととなる。ところがなんと、その最中にXは2度目の控訴取り下げを申請してしまう。 この理由についてX自身は語っていないが、当時の彼は手紙の通信制限などの拘置所での扱いに不満を持っていたようだ。この当時Xは《処刑場まで書信係員を呪うことだけを考えて吊られて行く 執行されるのが大拘職員への復讐だ》などと、弁護人宛てのはがきに書いていたという。こうして’21年8月25日、Xの死刑が確定した。 1度目の控訴取り下げの理由について、Xが’14年10月まで収監されていた徳島刑務所の同じ房で生活していたという男性は、こう話していた。 「『犯罪をしても平成から年号が変われば恩赦を受けられる』。徳島刑務所時代、アイツはしょっちゅうこう語っていました。『恩赦を受けるためには刑を確定しておかなければいけない』とも言っていた。死刑判決になっても控訴すれば刑は確定しない。そこでアイツは、’19年5月1日に令和に改元した後に、突然取り下げを行ったんだと思います」(『FRIDAY』’21年9月24日号より) 結局Xが恩赦されることはなかった。Xが最後まで罪に向き合わずに、自分のことしか考えていなかったのは確かだったようだ。

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