当代きっての“花形”喬太郎、菊之丞の競演に暑さ忘れる

【佐藤雅昭の芸能楽書き帳】もうじき9月の声を聞くというのに今年の残暑は厳しい。8月25日の夜、第720回紀伊国屋寄席でトリの柳家喬太郎(61)がかけたのが「お札はがし」の一席。ご存じ、三遊亭圓朝作「牡丹灯籠」の一幕だが、やはり夏に怪談噺はぴったりだ。 喬太郎の師匠でもある柳家さん喬(77)に2019年に入門し、21年から前座修行中の柳家小きち(35)が開口一番を務め、「寄合酒」で幕を開けた落語会。小里ん門下の二つ目、柳家小ふね(32)が「牛ほめ」で続き、3月に真打に昇進した柳家吉緑(40)が「夢の酒」でご機嫌をうかがって、前半最後はベテランの三笑亭夢太朗(76)が登壇。名奉行として名高い大岡越前守の、やがて側近となる池田大助の少年時代の逸話を描いた一席だ。 噺を聴きながらふと頭をかすめたのが神戸市中央区のマンションで、住人の会社員片山恵さん(24)が刺殺された事件。殺人容疑で逮捕された谷本将志容疑者(35)は3年前に同様手口で有罪判決を受けていたことが分かっている。 この際は裁判長が再犯の可能性を強く危惧しながら執行猶予付きの判決を下し、保護観察処分にもしなかった。谷本容疑者にしてみたら「しめしめ」だっただろう。関西から東京に住まいを移し、猫をかぶったように棲息していた3年間。そして…。お忍びで町中を見回る大岡越前守や遠山の金さんではないが、こうした奉行が今の世の中にもいたら、ひょっとしたら防げる犯罪も少なくないのではないかと考えたりもする。 中入りを挟んで、登場したのは古今亭菊之丞(52)だ。前半とガラリ会場の空気が変わっている。まるで「ここからが本番」といったお客さんの期待感の大きさがひしひしと伝わってきた。 この日、落語協会は上野精養軒で5人の真打昇進者をお披露目したが、菊之丞は会見後のパーティーの司会を務め、その後NHKで収録を済ませてから会場入り。「もうへとへとで…」と笑わせてから「片棒」に入った。 ケチが主人公の爆笑話。人呼んで「赤螺屋(あかにしや)ケチ兵衛」さんが3人の息子のうち誰を跡取りにしたらいいかを探るため、「私が死んだら、どんな葬儀にするか」と問いかける。 「立派な葬式を出すべき」と主張する長男は通夜をふた晩行い、参列客には高額な交通費や豪華な引き出物を渡すべしと主張。次男は「粋で色っぽくやるべし」と提案し、父親をあきれさせて…といった展開だが、菊之丞が艶(つや)っぽく演じて魅了。かつて柳亭市馬(63)の「片棒」に抱腹絶倒したことがあったが、勝るとも劣らぬ鮮やかな高座だった。 菊之丞がドッカーンと沸かせた後はさぞやりにくかろうと思うのは素人。トリの喬太郎はあいさつもそこそこに「お札はがし」に入っていった。観客はいつしか圓朝の世界に誘われ、ぐっと身を前に乗り出していく。 「本郷刀屋」「お露新三郎」「お札はがし」「おみね殺し」「関口屋強請り」の5話に分けて語られることの多い「牡丹灯籠」だが、10年以上前から通しで演じてきた喬太郎だけに、完全に手の内に入っている。 「お札はがし」は根津清水谷に住む浪人、萩原新三郎に焦がれ死にした飯島平左衛門の娘・お露と、看病疲れで亡くなった女中のおよねの死霊が「カランコロン」と下駄の音をさせながら新三郎のもとに訪ねてくる話。 お札が張られて中に入ることが出来なくなったお露とおよねが新三郎の面倒を見ている伴造とお峰夫婦に「お札はがし」を依頼して…といった展開だ。 緊張感を漂わせたまま話は続いたが、唯一、会場を爆笑の渦に巻き込む場面を用意していたのはさすが喬太郎。生の高座は一期一会。会場にいたお客さんへのプレゼントだから、ここでは詳細を書くのを控えておく。またどこかでやってくれるだろう。しばし、暑さを忘れた紀伊国屋寄席だった。 帰宅してBS日テレ「ドランク塚地のふらっと立ち食いそば」(月曜後10・00)を見る。そばのうまさを引き立てる喬太郎のナレーションに空腹を覚えた筆者はゲタをカランコロンさせて、24時間営業の立ち食いそば店に足を運んだ。

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