「切り取り」と「要約」が生む新たな炎上メカニズム 背景を追わない時代の弊害とは

ネットの炎上事件などはもはや珍しくもなくなり、毎日どこかで炎上したというニュースが流れてくる。ただそれも、炎上内容にはある程度のトレンドがあり、何か1つの事件がきっかけで類似の事件があぶり出されるというパターンになっているようだ。 過去の炎上事件を内容から分類できないか考えてみたが、案外2つぐらいに集約できるように思う。 1つは、「反倫理・反社会行為型」である。「コンプライアンス違反型」と言い換えてもいいだろう。テレビ局や大手企業など、みんなが知る組織内で隠蔽されてきたパワハラやセクハラといった問題が露呈した場合や、飲食店での不衛生行為などがこれにあたる。 これは組織、有名人、一般人にかかわらず起こり得る。行為そのものが不愉快であることや、それを隠蔽しようとした行為、これまで安全と思われてきたことが崩壊する可能性があることで、社会的不安が増大する際に現れる。 近年ではジャニーズ事務所問題やフジテレビ問題を思い浮かべる人も多いと思うが、その前には回転寿司チェーンで起こった一般人の不衛生事件もあった。食の安全に関わる炎上はいくらでもネタがあるのか、数年おきに波が来る。 もう一つは、「失言・不適切発言型」である。「舌禍型」とも言えるかもしれない。人間、つい勢いで言わなくてもいいことを言ってしまったり、言葉の使い方を間違えてしまったりということはある。それが取り上げられて、炎上してしまうタイプだ。 これは基本的に、発言力が大きい芸能人や政治家、有名人などに起こりやすい。なぜならば、その対象となった「人」にニュースバリューがあるから炎上するわけで、「誰なのか」が問題なわけである。一般人が多少言い過ぎたところでニュースバリューはないので、大規模な炎上にはならない。 この、有名人と一般人という切り分けは非常に選民的で不愉快である、という人も加速度的に増えている。 まだインターネットがこれほど社会的に力を持つ以前は、「テレビに出る側の人」と「テレビを見る側の人」の間位には、圧倒的に発言力の差があった。しかしインターネットの登場が、そのバランスを変えた。インターネットはそもそも、「モノ言う一般人」の世界である。そういう人たちが大量に集まって一斉に同じ方向を向いて感情をぶつけることが、すなわち「炎上」ということになる。

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