若者との付き合い方だけではない 昭和世代の危機「俺ではない炎上」

阿部寛といえば、古代ローマ人を演じた「テルマエ・ロマエ」(2012年)から、殺人事件を追う刑事を演じた「護られなかった者たちへ」(2021年)まで、二枚目でありながらコメディにもシリアスにもハマる存在感と振り幅ある演技が出来てしまう俳優だ。高身長と日本人離れした顔立ちなのに気取らない笑顔で男女共に愛され、親近感がある唯一無二の俳優として今も主演作が絶えない。そんな阿部寛が現代のオヤジ層の思いを体現する演技を見せたのが、SNSの恐怖や世代間の溝をシニカルに描いた映画「俺ではない炎上」だ。 タイトル通り、身に覚えのないことで自身がSNS上で炎上してしまうサラリーマンの恐怖を描いた本作は、SNSの書き込みにより人生が変わってしまう男の逃走劇であり、汚名返上劇でもある。映像の仕掛けも面白く、SNSの書き込みを立体的な吹き出しとして日常の風景に映し出したり、エゴサーチで目にした文章が画面を覆い尽くすなど、主人公の脳内を再現するようにネットの世界を現実世界と融合させていく。それだけでなく、ひとたびSNSの世界で自分が炎上していると分かると、現実世界で携帯を見つめる人々の姿も恐ろしく見えてくる心情を、微かに怯えた表情で阿部寛が観客に気づかせるのだ。結果、私人逮捕系YouTuberに追われる身となるのだが、大きな身体を隠すことが困難で、はみ出してしまう姿も滑稽だ。この中年サラリーマンはある程度の地位ある役職で家族持ちだが、思っていたのとは違う他者からの印象が明らかになった時、その言われっぷりが哀れで、なんとも言えない笑いを誘う。しかし次第に主人公が他人に思えず、スクリーンに釘付けになっている自分が居た。 興味深いのは主人公がSNSを見ない男だということ。これがSNSを利用している男であればSNS上で反論をしたりするのだろうが、彼のなりすましアカウントが炎上している点で、物語はあくまでも現実世界で進んで行く。原作者の浅倉秋成は1989年生まれ。となれば両親はゴリゴリの昭和世代であり、2001年にインターネットが一般家庭に普及したと考えると、ネットを知ったのが12歳ということになる。もしかすると昭和世代とも上手に付き合いながら、SNSを活用するZ世代の感情も多少なりとも読み取れる世代なのかもしれない。現に物語にはSNSをバズらせる大学生が登場し、「正義感」からSNSを有効活用しているという会話が繰り広げられるのだ。昭和世代は、きっと生身の会話で物事は丸く収まると思っているだろう。しかしZ世代はそうでは無いのかもしれない。良かれと思って指摘したことが、相手を傷つけているのかもしれない。映画の主人公は、「ら抜き」言葉を指摘しただけで、若者に睨まれる。人の気持ちを汲み取れないだけで、呆れられてしまう。そんなことで恨みを買うなんて想像もしていなかっただろう。この主人公の出来事こそ、明日は我が身なのだ。 (映画コメンテイター・伊藤さとり)

シェアする

  • このエントリーをはてなブックマークに追加

フォローする