逮捕の一報を受けて教団内に衝撃が走ったのは、9月23日未明のことだった。その直後、韓国のソウル拘置所で2坪ほどの独房に収監された旧統一教会(世界平和統一家庭連合)の総裁・韓鶴子(ハンハクチャ・82)のもとを、ある面会者が訪れたことはあまり知られていない。最高指導者の逮捕という、かつてない危機を迎えた教団に今、何が起きているのか――。 韓総裁は、尹錫悦(ユンソンニョル)前大統領(64)の妻・金建希(キムゴンヒ)氏(53)に対する、英グラフ社の高級ネックレスやシャネルのバッグなどの提供や、’22年に最大野党の議員へ資金提供を指示した疑いなどが持たれている。韓総裁は容疑を否認しているが、起訴されれば身柄の拘束が長引く可能性も否めない。トップ不在の中で、注目されるのが後継者だ。 〈天愛祝承子ならびに家庭連合代表者会議の皆さまへ〉 筆者の手元に、そう題された文書がある。逮捕の翌日に教団内部で共有されたもので、〈職を辞したく存じます〉と記した教団の世界宣教本部長の″辞表″だ。「天愛祝承子」とは、韓総裁の長男(故人)の二人の息子に与えられた称号である。 「今年4月に開かれた式典で、韓総裁の孫である文信出(ムンシンチュル)と文信興(ムンシンフン)兄弟が事実上の後継者として紹介されました。いずれも20代です。8月には、教団の最高意思決定機関として『世界宣教本部』『中央行政院』『未来人材養成院』の3組織が始動。 ところが、この3院のトップには、教団ナンバー2だった前秘書室長・鄭元周(キョンウォンジュ)の子飼いが抜擢されたのです。鄭は、もし自らが収監されることがあっても、拘置所から教団の運営に影響力を及ぼそうとしていたのでしょう」 そう話すのは教団内部に詳しい関係者だ。鄭氏といえば、韓総裁とともに特検の聴取を受けた人物。ただし、立証が不十分などの理由から逮捕を逃れている。 「鄭は、著名法律家を集めた大弁護団を結成。自らは拘束を免れたことで、教団内部から、『罪を韓総裁に押し付けた』『クーデターではないか』と批判の声が高まりました。韓総裁が逮捕された日には、韓国内の教区長たちが、鄭に対して謝罪と辞任、そして現指導部に対して総辞職を求める声明を出しています」(同前) 現指導部とは、当然、鄭氏も含めた3院幹部らのことを指している。つまり「鄭一派」vs.「韓総裁の血族や古参幹部」という構図の争いが水面下で繰り広げられていたのだ。 韓総裁逮捕後、冒頭のように拘置所の面会室に姿を見せたのは実の娘らだった。 「この日、三女と次男(故人)の妻が面会をしています。彼女たちは世界宣教本部長が組織内の批判に早々に屈し、職を辞するつもりだと報告したそうですが、韓総裁は『(勝手な)辞任は認めない』と反対したといいます」(同前) 韓総裁の鶴の一声を受け、世界宣教本部長は翌日にあっさりと辞意を撤回。鄭氏の腹心だった世界宣教本部長が、再び韓総裁に忠誠を誓った形となった。 ◆「日本の信者に献金を求める」 三女らの面会翌日、ソウル拘置所には別の客人が現れた。 「長男の妻が後継者の孫の一人を連れて面会に訪れたのです」(別の関係者) この面会の詳細は漏れ伝わって来ないが、逮捕直後から慌ただしく文一族が拘置所を訪れているのは、教団内部の後継を巡る混乱ぶりを物語っているようだ。 「批判にさらされた鄭は現在、教団の聖地・清平を離れ、ソウル市内のマンションに身を潜めているといいます。ナンバー2による″クーデター″は失敗に終わりつつあるようです」(同前) 当面、教団運営は長男の妻、二人の孫、次男の妻が中心に行う、というのが教団関係者の見方だ。では彼らはどんな人物なのか。長年、旧統一教会を取材してきたフリーライターの石井謙一郎氏が言う。 「ロックミュージシャンだった長男は現在の妻と’99年に再婚し、’08年に死去しました。次男も’84年に死亡していますが、妻はその後に“霊肉界祝福”(故人との婚姻)を受けて結婚しています。ちなみに後継者と目される孫・文信興の妻は日本人で、元八王子教会長の娘です」 教団上層部の迷走は当然、日本教団にも影響を及ぼすだろう。東京地裁は3月、教団に対し解散命令を出した。現在は東京高裁にて審理が続いている。また10月には山上徹也被告の公判が始まる。 信者の減少にも歯止めがかからない。安倍晋三元総理銃撃事件から今年1月までの間に1万人以上が教団を離れ、公称信者数も10万人を割り込んだ。中には脱会の手続きはしていないが既に信仰心が薄れている者もいるようで、教団がさらに弱体化する可能性は十分あるだろう。石井氏は警戒心を露(あらわ)にする。 「長男の妻や孫たち幹部が今後、″教団が迫害を受けるのは信仰の弱さだ″として日本の信者にさらなる献金を求めることにならないかが懸念されます」 上層部の混乱のしわ寄せが日本の信者に来る――。そんな不条理が許されてよいはずがない。 『FRIDAY』2025年10月17日号より 取材・文:甚野博則(ノンフィクションライター)