フェラーリ250GTO vs マクラーレンF1|究極のふたつのアイコン、その共通点とは?

おそらく、世界でもっとも多くの人々が手に入れたいと思っている車が、この2台だろう。しかも、この2台は、あなたが考えるよりずっと多くの共通点を持ち合わせている。さて、マクラーレン初のハイパーカーは、フェラーリの頂点に位置するモデルのポジションを受け継ぐことができるのだろうか? ーーーーー 一見したところ、2台の比較は成立しないように思える。1960年代初頭に誕生したフェラーリを、そのおよそ30年後に登場したマクラーレンの対抗馬に据えるなど無謀だろう。そもそも、2台のどちらからがほしいかという論争が起きたという話も聞いたことがない。しかも、250GTOの価値はいまや4000万ポンド(約78億円)を越すともいわれる。それに比べれば、いまではずいぶん高騰したとはいえ、1000万ポンド(約19億円)から2000万ポンド(約38億円)で取り引きされるマクラーレンF1は「お手頃」といえないこともない。 このユニークな比較記事は、モータースポーツ・ヒストリアンとして並ぶ者がいないダグ・ナイに執筆を依頼した。ダグは記事のなかで、2台にはあなたが想像する以上に多くの共通点があることを、挑発的ともいえる調子で訴えている。 2台はいずれも、正しい出自、レース・ヒストリー、デザインの美しさ、技術的な正統性などを備えている。であれば、マクラーレンF1にも250GTOと肩を並べるチャンスはあるのか?ベテラン・エンスージアストの視点からダグ・ナイが回答を試みる。 ●ダグ・ナイ、最大の疑問に答える ゴードン・マーレイ(マクラーレンF1の創造主)とのランチは愉快だった。私たちは大いに笑い、マクラーレン・カーズのプロジェクトが立ち上がった当時に、その現場に招き入れてくれたことについて語り合った。このとき私は、18世紀の伝記作家であるジェームズ・ボズウェルがサミュエル・ジョンソン博士に果たしたのと似たような役割を、マクラーレン・カーズに対して担うことになったのだ。 ゴードンとマクラーレンのクレイトン・ブラウンは、私にまず、守秘義務契約書へのサインを求めた。私は困惑しながらそれに応じると、ウォーキングのアルバート・ドライブにある真新しいワークショップに連れて行かれた。そこに置かれていたのは、MDF(中密度繊維板)で作られたコクピットのモックアップ。この時点でマクラーレンF1に関して存在していたのは、これ1点だけだった。このモックアップは、ウィンドウスクリーンの代わりにルーフ前端のヘッダーレールとスカットルの間に何本もの糸が張られていた。ちなみに、クレイトンの守秘義務契約書で定められていたのは、矢じり型のシートレイアウトと運転席を中央に設けること。また、私が抱く“一般的”なロードゴーイング・スーパーカーに対するイメージとは異なり、ゴードンが作ろうとしていたのは文字どおり究極の車で、その物語のすべてを語る資格を手に入れたことは、私にとって特別な栄誉となった。 10年ほど前のこと、この物語はひとつの結末を迎えることになった。素晴らしいエンスージアストであるニック・メイソンと私は、自分たちが愛してやまない車 ─ただし目を奪われるほど美しいクォリティのものばかり─ をひっそりと紹介するイベント、第7回コノサーシップ・シンポジウムに出席したのだ。会場となったのは、フロリダ州のネイプルズにあるマイルズ・コリアーの目を見張るようなコレクションだった。この日、私たちの持ち時間は1時間ほどだったが、そのうちのおよそ25分間を、初めて選ばれた車のために費やした。それがマクラーレンF1だった。 特別に招待された参加者のなかには数名のF1オーナーのほか、車齢50年のフェラーリ250GTOを所有するエンスージアストもいた。透徹した眼識を備えた目利きのニック自身は、それぞれ1台ずつを持っている。1980年代後半、彼は“たった”7万ポンド(当時のレートでおよそ1600万円)でGTOを手に入れ、一時は共通の友人であるマーレイに貸していたという。 私が適切な相場観を有していないのは前述のとおりだが、ここでひとつ、私なりの洞察をご披露したい。21世紀の基準から見て、GTOが洗練されていて静かで快適な最新モデルと評価する向きはいないだろう。それでも、フェラーリの開発陣が1961年から62年にかけて生み出したGTOが、バランスが良好で、極めて扱いやすく、ミスにも寛容なサーキットカーであることは疑う余地がない。ニック自身もGTOを所有していて、それでプロのドライバー相手にサンデーレースに出場すること(しかも、まずまずの成績を挙げている)に深い満足感を覚えているそうだ。また、ときには彼の妻が1週間にわたる女性専用のラリー・イベントに参加し、快適で楽しく、しかもそれなりに速いドライビングを堪能することもあるという。つまり、たった39台のみが生産された250GTOのうちの最初の1台が、いまから60年以上も前にマラネロ本社の正門を潜り抜けたときの評価が、いまもそのまま通用しているのである。 1989年、ニックはフェラーリF40をゴードンに貸し出していた。ゴードンはエンジニアの視点から、当時のスーパーカーの何が優れていて、何が欠けているかを見極めようとしたのだ。このとき、古い250GTOもゴードンの手に委ねられたことはすでに申し上げたが、ここで彼はGTOのエッセンスとソウル、すなわち本当にアイコニックな“コニサーズカー”の本質を垣間見たのである。さらにいえば、そこで得られた経験は、設計図やデータ、グラフなどで表現できるものでは決してなかった。 近年、1962~63年のフェラーリGTOは3500万ポンド(約68億円)がひとつのベンチマークで、4000万ポンド(約78億円)が提示されるケースもある。しかし、長年GTOを所有してきたオーナーは、その額でも売却しないらしい。なぜなら、一度手放したら、2度と手に入れられなくなるかもしれないからだ。多くのオーナーにとって、GTOは一生ものの存在なのである。

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