1994年6月29日、長野県北安曇郡池田町の小学校校庭で、宮田稔之君(当時17歳)と弟の透くん(当時16歳)が、同じ地域に住む少年らから集団リンチを受け、稔之くんは昏睡状態になった末、翌日に死亡した。通称「長野リンチ殺人」事件である。 当初、加害者として逮捕されたのはAという少年1人であったことから、警察は父の宮田幸久さんと母の元子さんらに「喧嘩だった」と説明し、新聞でも小さな囲み記事で「1対1の喧嘩」と報じられていた。しかし、稔之くんが死亡した30日、さらに6人の少年が加害に加わっていたことが判明する。 少年審判は非公開であり、息子を殺された両親は警察や検察、家庭裁判所からほとんど何も知らされないまま放置されていた。この状況に我慢ならなかった宮田さん夫妻は、真相を明らかにするため民事訴訟を提起する。 本記事では、ノンフィクション作家・藤井誠二氏の著書『少年が人を殺した街を歩く 君たちはなぜ残酷になれたのか』(2025年、論創社)から、事件の真相や加害少年が反省を示さない有り様について記した箇所を抜粋して紹介する。(本文:藤井誠二)