さよなら人類、われらはネットでさるになる

(文中敬称略) 前回、ネットにおける倫理の実装、具体的には政治動画はどうあるべきかということを話題にしてから、頭の中でたまの「さよなら人類」(1990年にCDリリース、曲の成立はもっと前らしい)がぐるぐるとエンドレス再生されている。 あまりに再生されるので、これはたまらん、こういう時は現実音で迎撃してエンドレス再生を止めるのだ、と、手元にある「さよなら人類」を何度も再生し、さらにはネットにアップされている各種バージョンをも聴き込んでいる。たまの音楽は即興絡みなので、同じ曲でもライブでは一部が変化する。 人類が木星に到達すると、ピテカントロプスになる……曲は「ららら」と大きく盛り上がり「さるにはなりたくない」と歌い、「さるになるよ」というリフレインで静かに終わる。 なぜ、木星に着くと猿になるのか、なりたくないのに猿になってしまうのか。 柳原幼一郎による歌詞は、明らかに一本の映画を本歌取りしている。 人類が木星に到着するというのは映画「2001年宇宙の旅」(スタンリー・キューブリック監督、1968年)からであろう。そこにピテカントロプスや猿が絡むというのも、同じ映画からだ。 「2001年~」では、猿(ここでは類人猿である人類の先祖)は映画冒頭で黒い不思議な石碑状の物体「モノリス」に触れることで進化して人類になる。さらに映画の末尾では、木星に到達したボーマン宇宙飛行士は再度モノリスに接触し、抽象的な映像の果てに人類のさらなる進化――スターチャイルド化を暗示して終わる。 「さよなら人類」はこれを「木星に行くと猿になる」と逆転している。 ネットという新たな技術を手に入れた人類が、進化するのではなく猿になる――今の世界状況は「2001年」ではなく「さよなら人類」だなあ……と、きれいにまとめてしまって良いのか悪いのか。 ともかく、今、私が感じているうんざりした感覚と、「さよなら人類」はきれいにシンクロしている。シンクロしているので、なかなか頭の中の繰り返し再生を止めることができない。 ●「いかすバンド天国」から人気爆発 たまは1984年結成。知久寿焼、石川浩司、滝本晃司、柳原幼一郎の4人によるバンドだ。ライブハウスの演奏ではかなり有名でファンも付いていたそうなのだが、一般に知られるようになったのは、元号が昭和から平成へと変わった1989年11月に、毎週土曜夜の深夜番組「平成名物TV」(TBS)の1コーナーである「三宅裕司のいかすバンド天国」に出演したことがきっかけだった。 通称「イカ天」とは、アマチュアバンドの勝ち抜きコーナーで、出場したバンドの演奏を審査員が評価し、その日の「イカ天キング」を決める。「イカ天キング」は前週の「イカ天キング」と対決し、挑戦者が勝つとキングが交代。5週勝ち抜くと「グランドイカ天キング」の称号を得るという仕組みだった。 1989年11月11日放送回に初出場したたまは「らんちう」でイカ天キングを獲得。その後「さよなら人類」「オゾンのダンス」「ロシヤのパン」「まちあわせ」を演奏し、5週勝ち抜いてグランドイカ天キングとなった。翌1990年5月、「さよなら人類」と「らんちう」のシングルCD(ああっ! シングルCDという言葉も今や死語ではないか。直径8センチメートルの2曲ほどが入る小さなCDです)が発売され、そして人気が爆発した。 思い出せば、この分野に対する私の感度は、まったく悪かった。「なんかイカ天でえらいへんてこなバンドが勝ち進んでいる」と聞いて、どれどれ、と初めてイカ天を見た(そう、それまで見たこともなかった)のが勝ち抜き4週目の「ロシヤのパン」だった。 が、その1曲で「これはただ者ではない」と判断するのに十分だった。 イカ天は当時一世風靡した人気コンテンツだったが、私の受けた感触は決して良いものではなかった。そこでは「メジャーデビューすることが偉い」という価値観が貫徹しているようで、審査員はなんとも上から目線に見えたし、出演するアマチュアバンドも「メジャーになりたい」という自己顕示欲でギラついているように思えた。

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