平日夜9時に麻原彰晃をイジって笑いをとる…今では考えられない90年代のバラエティ番組の異様な空気感

バラエティ番組「とんねるずの生でダラダラいかせて!!」(1991〜2001年、日本テレビ系)はどこがすごかったのか。社会学者の太田省一さんは「過激であることがほとんど唯一の大義といった企画ばかりで、90年代のバラエティを象徴する番組だった」という――。(第3回) ※本稿は、太田省一『とんねるずvs村西とおる』(双葉社)の一部を再編集したものです。 ■生ダラが放送していた今では絶対NGの企画 90年代、性に限らない欲望の暴走を全面に打ち出して成功したのが、『とんねるずの生でダラダラいかせて!!』(日本テレビ系、1991年放送開始。以下、『生ダラ』)である。 こちらも夜9時台のゴールデンタイム。総監督(総合演出)として、初期には伊藤輝夫(テリー伊藤)も加わっていた。監修に秋元康も名を連ねている。 この番組は、往年の人気歌手・にしきのあきら(現・錦野旦)や元プロ野球選手の定岡正二などをバラエティ番組の人気者にしたことで知られている。 「空に太陽がある限り」などのヒットで知られ『紅白』にも出場したにしきのあきら(この番組から「スター」という愛称が広まった)がどっきりにかけられて全裸姿をさらされるなど散々な目にあったり、読売ジャイアンツの主力投手としてアイドル的人気を誇った定岡正二をポンコツ扱いして「へなちょこサダ」と呼んでみたり、さまざまな有名人がとんねるず一流の悪ふざけの餌食になった。 むろんベースには体育会系の友達感覚のノリがあり、絶妙のさじ加減で大物有名人の意外な一面を引き出す手際にとんねるずのプロデュース力を感じる番組であった。 その一方で、特にテリー伊藤が携わった番組初期は、色々な意味できわどい企画の連発だった。

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