身内殺しから18年に及ぶ逃亡劇に幕…。映画化もされた"悲しきヒットマン"逮捕に見えるヤクザの不条理

18年に及ぶ逃走劇はあっけなく幕を閉じた。 神戸市内で2007年5月、山口組系幹部(当時65)が殺害された事件で、現場の指揮役として組織犯罪処罰法違反容疑で指名手配されていた勢昇容疑者(76)が、同市内に潜伏していたところを逮捕された。 2015年から始まった山口組の分裂抗争の伏線と目される事件で、関係者からは「この時点で神戸山口組に勝ち目はなかった」と悟り交じりのため息が漏れる。 【反本家若頭の急先鋒を粛清】 事件当時、勢容疑者並びに殺害された後藤一男組長は、いずれも山口組内の山健組に属していた。いわば"身内殺し"ともいえる事件について、全国紙社会部デスクが解説する。 「後藤組長は若いころは愛知県内の独立組織にいて、90年代に起きた地元組織と山口組の弘道会との名古屋抗争でも最前線に立って懲役を務めた。そして、弘道会に地元組織が飲み込まれて行っても、後藤組長は軍門に下らず、山健組の盃をもらって弘道会王国の名古屋において反弘道会を貫きました。 事件当時の山口組は既に六代目体制に入り、特に銃刀法違反で下獄した司忍組長の不在をカバーするべく高山清司若頭の存在感が高まったころでしたが、かつての因縁を引きずる後藤組長には面白くなく、高山若頭を公然と批判していた。そして、山口組の執行部から当時の山健組組長の井上組長に対して後藤組長の処分を命じられて、後藤組長は永久追放を意味する絶縁を言い渡された。この処分に抗議するため後藤組長が山健組本部のある神戸に赴いた際、勢容疑者ら同門の山健組組員によって路上で刺殺されました」(全国紙社会部デスク) 兵庫県警は当初から山健組内部による粛清と判断した。ただ、勢容疑者は行方をくらまし、09年に指名手配となった。流転の凶状旅を続けた勢容疑者について、暴力団関係者のA氏が語る。 「勢容疑者は山一抗争で相手組織の関係先に手りゅう弾を投げて長期服役した武闘派ヤクザ。映画化『悲しきヒットマン』で三浦友和が演じた主役、高木昇のモデルでもあります。高松刑務所で知り合った井上組長に心酔し、自ら率いた一勢会は"井上親衛隊"とも称されました。 身内殺しのような事件を任されるほどだから井上組長の信頼も厚く、神戸に潜伏したのも井上組長と定期的に面会するためだったからではないか。一勢会は紆余曲折を経て現在は山口組サイドにいるが、兵庫県警は今回の逮捕に際して、勢容疑者の肩書を神戸山口組山健組系幹部としています」(暴力団関係者A氏) 不穏分子である後藤組長の粛清に踏み切ったことでみそぎをつけたかたちとなり、井上組長は執行部の座布団を守った。とはいえ、身内殺しの代償は余りにも大きかった。

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