菅田将暉“久部”が熱意から暴走した夢の結末…ほろ苦くも描かれた群像劇の面白さ<もしがく 最終回>

三谷幸喜氏が脚本、菅田将暉が主演を務めるドラマ「もしもこの世が舞台なら、楽屋はどこにあるのだろう」(毎週水曜夜10:00-10:54、フジテレビ系/FOD・TVerにて配信)の第11話が12月17日に30分拡大で放送された。久部(菅田)の熱意で始まった物語は、ビターエンドながら温かな希望の余韻を残した。(以下、ネタバレを含みます) ■昭和の渋谷を舞台にした青春群像劇 本作は、脚本家・三谷幸喜氏自身の経験に基づくオリジナルストーリーで、1984(昭和59)年の渋谷を舞台にした青春群像劇。 菅田演じる成功を夢見る演劇青年の主人公・久部三成や、ミステリアスなダンサー・倖田リカ(二階堂ふみ)、三谷をモチーフにした新人放送作家・蓬莱省吾(神木隆之介)、渋谷にひっそりとたたずむ神社の巫女・江頭樹里(浜辺美波)ら、若者たちのくすぶり、情熱、苦悩、恋を描く。 ■久部が暴走し、劇団クベシアター解散へ 三谷氏が劇作家・井上ひさし氏の役でチラリと登場するサプライズもあった最終回。物語は、WS劇場がある八分坂商店街の無料案内所にいるおばば(菊地凛子)の謎めいた予言の通りに進んでいった。 おばばに第1話で「一国一城のあるじ」になると言われた久部は、WS劇場の支配人となった。しかし、前回「お前の足を引っ張るのは、おとこから生まれたおとこ」と久部に忠告し、さらに第11話冒頭で「あの男の運気が下がっておるぞ」とつぶやき、不穏さが増した。 不穏は現実のものとなって渦巻いていた。かつていた劇団に対抗するように新たに始めた「ハムレット」の舞台は、三谷氏演じる井上ひさしは褒めたものの、ヒロイン役のリカは作品の難解なせりふを覚えられずにボロボロ。集客があるのは、久部が演じる主人公と対立シーンがある役を務める元警官・大瀬(戸塚純貴)のアイドル的人気があったからだった。 そんな中、久部はモネ(秋元才加)の息子・朝雄(佐藤大空)が描いていた絵を汚してしまった罪を大瀬になすりつけ、かつてシェイクスピア俳優として名を馳せた是尾(浅野和之)が作った高額な酒代を売上金から支払ったのを、行方をくらませていたWS劇場の看板ダンサーだった、いざなぎダンカン(小池栄子)のためだとうそをついた。 前回で感じたシェイクスピアの戯曲「マクベス」の主人公のように暴走した久部は、多くの者たちを追い出し、残したリカやWS劇場の舞台監督・伴(野間口徹)、蓬莱、樹里と“仮面劇”で公演を続行しようとする。だが、リカに去られ、結局、劇団クベシアターは解散となった。 劇場オーナーのジェシー(シルビア・グラブ)が言った「やっぱりこの世界、熱意だけじゃだめなのよ。仲間の信頼を失ったら、あとは落ちるだけ」ということなのだ。 久部は、蓬莱が「乙子(おとこ)」という名の母から生まれたことを知り、劇場を蓬莱に託した。蓬莱は、おばばの言った「おとこから生まれたおとこ」というわけだった。 ■ほろ苦い物語に温かさを残した2年後のエピローグ リカに去られてぼう然とする久部に樹里が語った。「シェイクスピアって不思議だったんです。戯曲を読んでいると、たまにどうしてこの人出てくるんだろうと思う人がいる。こんな登場人物いなくてもいいのに。ある時、気付いたんです。シェイクスピアは劇団の座付き作家だった。だから彼の頭の中には、いつも劇団員のことがあった。皆に役を与えないといけない。だからお芝居が下手な役者にも、ちょっとだけ舞台に立たせてあげたんじゃないかなって。だからシェイクスピアの作品は温かい。どんなに悲しい話でも、温かい」と。 シェイクスピアに彩られた本作も、久部が熱意を持って始めた劇団クベシアター、そして久部のリカへの恋心と蓬莱の樹里への恋心もほろ苦く終わったが、その2年後が描かれたエピローグは温かく、光を感じるようでもあった。 ジェシーが逮捕されたことで劇場が人手に渡り、劇団も解散となった蓬莱はテレビの仕事で活躍。リカは芸能活動をし、おばばは八分坂でクレープ店を営む。 そして、久部はジェシーが始めた弁当屋で配達を手伝っていた。その久部が弁当を届けた区の交流センターで、シェイクスピアの戯曲「夏の夜の夢」のせりふが聞こえてきた。 久部は誘われるように部屋を覗くと、そこにいたのはトニー(市原隼人)やモネ、大瀬、元支配人の大門(野添義弘)と妻のフレ(長野里美)など、かつての劇団クベシアターの俳優やスタッフたちだ。リカはいなかったが、蓬莱はいた。 ひっそりと見ていた久部に樹里が話し掛けた。「公演する予定はないんですって。たまに集まって、こうして稽古を。みんな楽しそう。あのころのことが忘れられないみたい」。 笑顔があふれるかつての仲間たちの姿に目が潤む久部。そのまま皆に声をかけることなく立ち去った久部だが、センターの受付が偶然にもWS劇場を去る日に久部の宝物だったシェイクスピア全集を渡した相手。再びシェイクスピア全集を手にした久部は、自転車で温かな日差しが届く渋谷のまちを帰りながら、いつしか立ちこぎになり、「ノーシェイクスピア、ノーライフ!」と叫ぶところで幕を閉じた。 おなじみとなった毎話の始まりを告げるシェイクスピアのせりふを引用した“エピグラフ”。最終回は「終わりよければ、すべてよし 途中の道がどうであれ」だった。久部が新たな道の一歩を踏み出すことも予期させたし、クベシアターに関わった者たちの明るい今も「すべてよし」だといえる。樹里の言葉は“群像劇”としての面白さにもつながっているのではないだろうか。 SNSには「最終回、すてきだった」「いつかまたどこかでシェイクスピアをやるクベシアターの皆に会えるといいなぁ」「樹里のシェイクスピア解釈がとてもよかった」「最後のシーンでトニーがうれしそうに演技してるの見て本当にグッときてしまった」「演劇に関わる人たちの群像劇に、三谷幸喜の演劇愛が込められていて素直によかった」などの感想が寄せられた。 ◆文=ザテレビジョンドラマ部

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