中国建国を機に12歳で香港に逃れた黎智英氏 「金銭より自由」指針に反中の論陣貫く

香港国家安全維持法(国安法)違反などで有罪判決を受け、9日に禁固20年の量刑を言い渡された香港の著名な民主活動家、黎智英(れい・ちえい)氏(78)は、どのような人生をたどってきたのか。 黎氏は1947年、中国広東省広州で生まれた。父親が海運業で財を成し裕福な生活だったが、49年に中国共産党が中華人民共和国を建国すると暗転。一家は迫害を受け、12歳の時に独りで香港に渡った。 母親は別れ際に何も言わず、指先ほどの金塊をくれた。しかし、波止場で係官が所持品の検査を厳しく行っているのを見るや、万が一のことを考え、パンツの中に隠し持っていた金塊をその場で捨てたという。 「お金のために危険を冒してはならない。自由に勝るものはない」が、人生の指針となった。 香港では衣料工場などで働き、株の売買で成功を収め、アパレル企業を創業。カジュアル衣料品店「ユニクロ」の創業者で、ファーストリテイリングの柳井正会長兼社長が80年代、黎氏からビジネスモデルを学んだ話は知られている。柳井氏は著書の中で「商売には国境がないこと、製造と販売の境がないこと」を教わったと明かしている。 黎氏は89年の天安門事件の際に中国の民主化運動を支援した。中国政府との関係が悪化すると、95年に蘋果(ひんか)日報(アップルデイリー)を創刊。「自由と民主を支持する香港人のために声を上げていこう」を信条に、反中の論陣を張った。 97年に香港が英国から中国へ返還された後も、香港民主化運動への支援を続けた。「香港は本来、勤勉で努力をする人には成功の道が開ける公平で自由な社会。私にとっては天国のような場所だった。でも97年以降、その価値が失われていった」と、2020年の産経新聞のインタビューで語っている。 20年6月の国安法施行後の8月、同法違反の疑いで逮捕(後に保釈)。21年6月、蘋果日報は発行停止に追い込まれた。再逮捕された20年12月から続く獄中生活は5年を超え、健康状態の悪化が懸念されている。

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