大津市で令和6年、保護司の新庄博志さん=当時(60)=が殺害された事件で、殺人などの罪に問われた被告の裁判員裁判の判決公判が3月2日、大津地裁で開かれる。過去に新庄さんから更生支援を受けた男性は初公判からすべての期日を傍聴。担当保護司の新庄さんを襲った被告へのやりきれない思いを口にした。自身の経験から「生き方を変えるのは楽じゃない」としつつ「変わる努力をしたのか」と疑問を呈す。 男性は京都市山科区の解体工事会社役員、谷山真心人(まこと)さん(28)。小学生のころから万引など非行を繰り返してきた。これまでに数度の保護観察処分を経験。「生き方を変える気もなかった」と振り返る。 非行のきっかけは、さみしさだった。母子家庭で育ち、幼いころから母親は仕事で不在がちだった。同じ境遇の子供らと遊ぶようになり、空腹になればスーパーで食べ物を万引した。家には母親が用意した食事があったが、「1人で食べるのが耐えられなかった」。 事件を起こして少年院に入り、15歳のとき初めて保護観察処分を受けた。当初は更生などさらさら考えていなかった。「不良社会」という居場所が必要だったからだ。当時の谷山さんにとって保護観察は「めんどくさい」ものでしかなかった。 これまで4人の保護司に面倒を見てもらった。そのうちの一人、新庄さんと知り合ったのは約10年前だ。当初は心を開けず、その後も2回、事件を起こして逮捕され、21歳からの5年間を刑務所で過ごした。 新庄さんはときどき面会に来ては「そんな生き方しんどないか。こっちに来いよ」と谷山さんとのつながりを保ち続けてくれた。 「なんでここまでしてくれるのか」。犯罪と縁を切れない生き方に嫌気が差していたこともあり、本気で変わる努力をしようと思い直した。 26歳で出所。だが、現実は厳しく、職場で周囲から白い目で見られたこともある。染みついた「不良の常識」も自身を縛った。不良社会は暴力が一種のコミュニケーションで、人間関係でぶつかれば「けんかで事が済んだ」。だが、社会では通用しない。今は友人に誘われ、会社の役員にまでなったが「今でも更生したとは思ってない。道半ば」と話す。 新庄さんを殺害した飯塚紘平被告(36)は仕事が長続きしなかった不満を直接の動機に挙げている。新庄さんが担当保護司として更生支援を続ける中、5年間で約20社を不採用、約10社を人間関係のトラブルで退職した。被告人質問ではこの間の心境について「強いストレスで自暴自棄になった」と語った。