【あれから40年】西武・東尾修と近鉄・デービスが大乱闘 5年に及ぶ「因縁」と「遺恨」

打者の頭部付近に死球を与えた投手に危険球退場が宣告される現在でも、死球がトラブルに発展するケースがよく見られる。そして、危険球という言葉がまだ一般化していなかった昭和のプロ野球では、球史に残る大乱闘を誘発した死球も多かった。今から40年前、1986年6月13日に起きた近鉄、リチャード・デービスと西武・東尾修の死球乱闘事件を振り返ってみよう。 事件の発端となったのは、2点を追う近鉄の6回の攻撃中だった。 1死無走者で4番・デービスに対し、カウント1-2から東尾が投じた5球目の内角シュートが、踏み込んで打ちに行こうとしていたデービスの右肘を直撃した。 一瞬苦悶の表情を浮かべてよろけたデービスは、すぐさま体勢を立て直すと、バットを投げ捨ててマウンドに突進。東尾のこめかみに1発パンチを浴びせると、続けて右フックを繰り出し、さらにスパイクで右膝付近を蹴り上げた。 あっという間の出来事だったため、両軍ナインの制止が遅れ、計5発殴られた東尾は左顔面、右足などを負傷した。その後の乱闘騒ぎも含めて試合は6分中断し、デービスは暴力行為で退場処分になった。 退場を宣告した五十嵐洋一球審は「向かっていくほどの死球には見えなかった。ぶつけられただけで暴力を振るっては野球になりませんよ」と呆れ顔。東尾も「どちらが悪いかは、あなた方(番記者)が見ていればわかるでしょう」と訴えた。 森祇晶監督も「あれが退場だけで済むなら、“特攻隊”みたいな選手が好投するエースを殴る手口がまかり通ることになる」と警鐘を鳴らした。 一方、デービスは開幕以来西武戦で3度目の死球とあって、「東尾のようなコントロールの良い投手が、ああいうところへ投げるのは故意としか考えられない。何回も我慢していられない。自分にも養わなければいけない家族がいるんだから」と怒りをぶちまけた。 岡本伊佐美監督も「暴力を振るうのは良くないが、デービスがよくやられているのは確かだ」と西武戦での死球の多さをアピールした。 この日の現象面だけを見れば、デービスVS東尾(西武投手陣)という構図が浮かび上がってくるが、両チームがこの数年、“遺恨試合”とも呼べそうな死球禍の応酬を繰り広げてきたことも、事件の伏線となっていた。

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