福岡県北九州市を拠点として活動する全国で唯一の特定危険指定暴力団・工藤会の関連事務所が、次々と姿を消している。近年の警察の取り締まり強化で、トップ以下、幹部らの裁判が続いており、組織は弱体化している。本部事務所は売りに出され、各組事務所にも使用制限がかかるなどして組員らは立ち退く状況に。代わりに入ってきたのは、高齢者やヘルパー。暴力団がいなくなった施設や土地が、市民のための福祉施設に様変わりしたというのだから驚きだ。現地を取材した。 * * * ■工藤会幹部の裁判が進む中で 今年1月14日、北九州市の中心・小倉の繁華街からほど近い小倉北区神岳にある空き地で、福祉施設の起工式が行われた。生活困窮者や社会的に孤立している人々の生活再建を支援しているNPO法人「抱樸」による「希望のまちプロジェクト」の一環だ。 この起工式の様子は、多くのメディアで報じられた。普段、施設の起工式に報道機関が取材に訪れることはほとんどない。今回、注目されたのは、ここにはかつて九州最大規模の暴力団の施設があったからだ。 約1750平方メートル、テニスコート6~7面が入るほどの広さのこの土地には、工藤会の本部事務所「工藤会館」があった。工藤会といえば、敵対勢力や警察だけでなく、一般市民にも危害を加えることで恐れられてきた。その組織の象徴ともいえる施設が「工藤会館」だった。 同県内の工藤会の勢力は、2008年のピーク時には1200人超(準構成員らを含む)を抱え、行事などがあるときは、工藤会館の大きな通用門が開き、黒塗りの車が続々と入っていく様子が見受けられた。 しかし、同県警が14年、組織のトップで総裁の野村悟被告とナンバー2の会長・田上不美夫被告を逮捕した「頂上作戦」を皮切りに、工藤会への徹底的な取り締まりが始まった。その結果、多くの組員が逮捕され、24年末時点では230人にまで減少した。 工藤会館も14年11月に使用制限命令が出され、何度か延長された後、20年2月に撤去された。その後、関連事務所などにも命令が出され、組員は次々と立ち退くことになった。 一方、幹部の裁判も進んでいる。21年には、元漁協組合長射殺事件(1998年)、元福岡県警警部銃撃事件(2012年)、看護師刺傷事件(13年)、歯科医師刺傷事件(14年)の4事件に関与したとして、野村被告に死刑、田上被告に無期懲役の一審判決が言い渡された。 その後、24年3月の控訴審判決では、野村被告について、元漁協組合長射殺事件の関与を裏付ける証拠がないとして無期懲役に。田上被告については、一審の無期懲役を維持した。両被告側は上告し、検察側も野村被告の死刑判決を取り消した高裁判決を不服として上告している。今年1月には、野村、田上両被告に次ぐナンバー3の菊地敬吾被告も、6事件についての控訴審判決でも無期懲役を言い渡され、2月に上告した。