<当時の出来事や世相を「12歳の子供」の目線で振り返ります。ぜひ、ご家族、ご友人、幼なじみの方と共有してください。> 父は雑誌に記事を書くライターで、今年が「戦後50年」にあたることから仕事が増えて忙しいようだ。戦争経験者、中でも実際に戦った元日本兵たちに取材して特集記事を何本か書くのだという。 僕の好きな「SLAM DUNK」などとは絵柄も中身もまったく違うが、父が子供のころは「戦記漫画」というジャンルが人気で、「紫電改のタカ」などがはやっていたらしい。 その頃は戦争帰りのおじさんが近所に大勢いて、父はよく体験談を聞いていたそうだが、今心配しているのは、そういう人たちが年を取って年々亡くなっていることだという。 考えてみれば、原爆や空襲などの犠牲者の話は僕も教科書などで読んだことがあるが、戦った人の話はこの平成の世の中であまり紹介されない。戦争に行った人はおもに大正生まれだったので今は70歳から80歳くらい。マスコミは「戦後○○年」という区切りが好きなので、次に大きな特集が組まれるのは10年後、20年後かもしれず、今回の取材が最後の機会かもしれないという。 だが、父の取材はいったん中止になった。1月17日午前5時46分、阪神・淡路大震災が発生したからだ。マグニチュード7・3。大きいところでは震度7を記録し、死者や行方不明者は6千人を超えた。戦後の自然災害で最大の被害だという。 神戸から転校してきた友達が「東京はよう揺れる。神戸は地震がない」といつも言っていたが、本当に地震が来ないと思っていた人が関西には多かったようだ。高速道路が倒れたり、街に火の手が上がったりしたテレビのニュースを一緒に見た友達は、懐かしい場所が多かったみたいで、ずっと泣いていた。 父は被災地の取材に入ることになり、しばらく帰らなかった。戦争体験者との取材の約束もほとんど延期になったという。だが、その約束も3月20日朝に起きたオウム真理教の地下鉄サリン事件の取材でまた延期になった。「戦後50年」を静かに振り返ることすらできないほど大きなニュースが続いているのだ。 オウム真理教は昨年6月に長野県で起きた松本サリン事件にも関係していたらしいが、尊師と呼ばれる麻原彰晃は数年前からテレビや選挙にも出ていて、学校でも物まねされるような有名人だった。地下鉄の事件では10人超が死亡、6千人以上が負傷し、担任の先生もあの時間帯の電車に乗っていて巻き込まれるところだったと話していた。