いつの時代も男女の仲を巡る事件は絶えない。そしてその背景には他人にはうかがい知れないさまざまな「愛のカタチ」が存在している。5月28日に刊行された『好きだったあなた 殺すしかなかった私』(事件備忘録@中の人・高木瑞穂著/鉄人社)より「『うじ虫』と呼ばれた妻が遂げられなかった本懐(兵庫県伊丹市・夫殺害未遂事件)」を一部編集して紹介する。 ◆「主人を刺しました」 平成13(’01)年8月15日。 「うじ虫。出ていけばええやん」 夫の暴言は今に始まったことではなかった。これまでに何度、どれほどの暴言を吐かれてきたか。いつものように、言い返すこともできた。いつものように、とりあえず外へ逃げて気分を落ち着かせることもできた。 けれどこの日、妻は逃げなかった。妻は台所で使い慣れた文化包丁を手に取ると、茶の間で寝そべってテレビを見ながら馬鹿笑いを続ける夫の背後で、静かに正座した。 兵庫県伊丹市の住宅から、「主人を刺しました」という119番通報が入ったのは、その日の午後7時10分ごろだった。被害者はその家に住む近藤達夫さん(仮名/当時62歳)。達夫さんは一命を取り留めたが、その傷は全部で5ヵ所に及び、そのうち、右腋窩部(編集部注・脇の下のくぼんだ部分)に差し込まれた傷には果物ナイフの刃が折れた状態で残ったままになっていた。深さは15センチ、右肺上葉を貫通していた。殺人未遂で逮捕されたのは、達夫さんの妻で通報者でもある和香子(仮名)だ。 和香子は夫の達夫さんを殺すつもりで背中を刺したが、達夫さんに包丁を払いのけられたために、果物ナイフを夫の胸をめがけ渾身の力で突き刺した。達夫さんの身体からは大量の血があふれ始め、そこでようやく我に返った和香子は119番通報をしたのだった。 ◆吹き荒れる暴力と暴言 和香子と達夫さんは、昭和35(1960)年に結婚。翌年には長男が生まれた。長男が10歳になる頃、達夫さんにある変化が現れ始めた。あおるように酒を飲み始めたのだ。まだ若かった二人は、酒に酔っては口汚く罵り合ったり、暴力を伴う夫婦喧嘩は日常茶飯事になっていた。和香子自身も、達夫さんにつられたのか、 もともとそうだったのかは不明だが、かなりの飲酒をしていた。それで慢性肝炎を発症した。何度も入退院を繰り返すほどだったという。そんな家庭で育った長男は、中学卒業と同時に理由は不明だが両親と別居することとなる。すると、達夫さんの暴力と暴言は一層ひどくなった。 和香子は手首や肋骨、胸椎の骨折を繰り返し、慢性肝炎と合わせて半年にわたり入院することもあったという。酒飲み夫婦の壮絶な日々の中、和香子は達夫さんに対して死んでくれと思うことはあったようだが、それでも「殺してやろう」というような気持ちはこの時点では持っていなかった。 平成13(’01)年7月、いつものように泥酔していた夫から、 「お前はゴキブリや」 と言われた和香子は、腹に据えかねて言い返した。すると、達夫さんは台所にあったカレーの入った鍋を手にして、その鍋の中身を和香子の頭から浴びせかけた。さらに、カレーまみれになった和香子の頭を、鍋で殴りつけたのだ。和香子の額は割れ、その日は救急車が駆けつける騒ぎとなり、病院で和香子は額を3針縫った。 長男の家に逃げた和香子はさすがに自宅に帰る気にはなれず、翌日の夕方になってようやく自宅へ戻った。そこで待っていたのは、さらに恐ろしい達夫さんの暴力だった。恐る恐る自宅へ戻った和香子に対し、達夫さんは容赦なかった。 達夫さんは和香子のことをうじ虫やゴキブリなどと呼ぶことが増えていて、おそらく和香子にはこれが一番堪えていたであろうことが、のちの惨劇から見てとれる。 「うじ虫と違うわ!」と怒鳴り返す和香子に、達夫さんは驚くべき行動に出た。ポリタンクとライターを持ち出して、和香子の目の前で「灯油まいて火、つけたろか」そう凄んだのだ。しかも、実際に達夫さんはポリタンクの灯油を板の間にぶちまけた。灯油のにおいが鼻を突き、焼き殺される恐怖にかられた和香子は取るものもとりあえず逃げ出して交番に駆け込んだ。 長男に迷惑をかけられないと思ったのか、和香子は自宅近くの公園で3日ほど野宿生活を送る羽目になったが、財布の中身が空になったことから家に戻る決心をした。野宿する間、和香子はぼんやりと、自分が殺されるくらいなら「いっそ達夫さんを殺そうか」と考えたというが、長男の姿がちらついて、その決心を固めるには至らなかった。 疲労困憊の状態で自宅に戻った和香子だったが、予想に反して達夫さんは和香子を優しく迎え入れたという。しかもその日以降、達夫さんが暴言を吐いたり、暴力を振るうことは不思議となかった。 8月3日、この日は生活保護費を受け取ったこともあり、和香子は夕食に達夫さんが好きなカニを奮発し、ビールとともに食卓に出した。達夫さんの喜ぶ顔が目に浮かぶ。好物を食べれば話も弾むかもしれない。だがそんな和香子の期待は裏切られることとなる。そして、和香子の心は「達夫さんを殺害するしかない」とまで追い詰められてしまうのだ。 ◆事件のその日 「なんでこんな食べにくいもん買うてくるんや! 身をとるのが邪魔くさいやないか」 和香子が夫のためにと買ってきたカニを見て、達夫さんは突然怒り始めた。そして、和香子に対してまた「うじ虫、ゴキブリ」と罵り始めた。和香子はそれでも好物なはずのカニだからと、翌日もカニとビールを食卓に出した。すると達夫さんは、カニをひっくり返して床にぶちまけ、罵倒し倒した挙げ句、和香子の髪をつかんで引きずり回すなどの暴行を加えた。 暴言だけにとどまらず拳で頭を殴られるなど暴力も振るわれた和香子は、自分が耐え忍ぶ人生を死ぬまで送らなければならないのかと絶望に近い感覚に囚われていた。 8月15日、達夫さんに言われるまま酒を買いに行った和香子は、自分も炊事場で1合ほど酒を飲んだ。 「おいうじ虫、酒が足らんやんか」 そう言われて再び酒を買って戻ると、達夫さんは酒を飲みながら和香子にこう言った。 「うじ虫。よううじ虫で生きてられるなぁ。うじ虫は死ね。(家におるのが嫌なら)うじ虫、出ていけばええやん」 この日の達夫さんの暴言はねちっこく長かった。暴力を振るわれることを恐れた和香子が言い返さなかったからか、達夫さんの嫌がらせはとめどなく続いた。和香子は言い返さないことで、代わりに心の中でずっとこれまで達夫さんに言われたこと、されたことを思い返していた。思い出すうちに、和香子の中で、もう達夫さんを殺す以外に逃れる方法はないという考えがまとまってしまった。 ◆夫の本性 和香子の犯行は執拗で悪質といえた。しかし、そもそもの発端は達夫さんの長年にわたる暴言と暴力行為であることは明白で、そして達夫さん自身が事情聴取の中で和香子に対してひどいことをし続けたことを認め、深く反省し、和香子に対しても処罰を望んでいない点が重視され、達夫さんが死なずに済んだという点でも大幅に酌量された。和香子には懲役3年・執行猶予4年の判決が出された。 自分を殺害しようとした妻を、夫は自身の非を認め、さらには妻を赦(ゆる)した。達夫さんは改心し、今後は和香子と手に手を取りあって穏やかな老後を過ごしていくことを誓った。 めでたしめでたし――いや、そうはならなかったと思う。 この事件に関しては新聞報道自体それほどされておらず、誰も死んでないし、そもそも刺された夫は自業自得感が否めないし、この夫婦にとって、いや世のすべての夫婦にとって、この和香子がとった行動は諸刃の剣であることは間違いない。 結果として殺人を犯さずに済んだ。刑務所に入ることもなく、傷つけた夫は反省し、和香子を赦すと言った。そこだけ見れば、よかったと言えるかもしれない。 ん? 赦す? 誰が誰を? 二人のそれまでの生活を考えれば、離婚してそれぞれが一人で生きていくというのは難しい側面もあった。消極的選択とはいえ二人は事件後も一緒に生きていく選択をした可能性が非常に高い。 警察からお灸も据えられ、裁判所からも自業自得だと言われた達夫さんは反省もしたことだろう。しかしそれは、今後も一緒に暮らしていく和香子に対する貸しでしかないのでは、と思う。こんなこと言うべきではないかもしれないが、仕留めておくべきだった。ケガを負わされ続け、虐(しいた)げられてきたのは和香子のほうだ。なのに、事件後は達夫さんが被害者になってしまった。 しかも、いつでもこのことを持ち出して、和香子を黙らせ、罪悪感を植え付け、刺されたのに赦すという寛大な人として、未来永劫執着し続ける権利まで持たされた。 和香子が達夫さんに与えた一撃は、自分の自由を得るどころか、これまで以上にがんじがらめにされてしまう結果になってはいないだろうか。 『好きだったあなた 殺すしかなかった私』(事件備忘録@中の人・高木瑞穂著/鉄人社)