「全ページがコンプライアンスに抵触するような…」90~00年代に働いていた元社員が語る、アングラ雑誌編集部の“異常な実態” 著者は語る『凡夫 寺島知裕。「BUBKA」を作った男』(樋口毅宏 著)

本書には次のような証言が数限りなく載っている。社内での出来事だという。 エレベーターのあたりがガチャガチャうるさかったんだよ。なんだなんだって見に行ったらバックで女をハメながら外階段を上がってくる奴がいる。コピー機に跨ってコピーを取って、それが寺島なんだよ。 このたび作家の樋口毅宏さんが上梓した『凡夫 寺島知裕。 「BUBKA」を作った男』。90年代から00年代にかけてのエロ本やゴシップ雑誌の編集部での出来事を記録したノンフィクションだ。主な舞台はコアマガジンと白夜書房、樋口さんは元社員だった。 「僕は95年にアルバイトとしてコアマガジンに入社し、04年に姉妹会社の白夜書房に移って、08年に退社しました。主にコアマガジン時代の話ですけど、当時からここでのことはいつか書き残さなければという意識があったんですね。同じ日が2日となく、ワールドカップの4年に1度どころではなく逮捕者が出ていて、次第に自分が異常な場所にいるということに気付いていったんです」 「いつか」は昨年、かつての上司の急逝としてやって来た。『BUBKA』ほか『ニャン2倶楽部Z』などの編集長を務めた「寺島知裕」。もとい「モラハラの権化」「サディストの化身」「セクハラ鬼畜」……。 「編集者としても二番煎じ三番煎じ、社内の他の人から企画をパクっているような有様で、人望もない。それでも運だけはあって、才能ある人、異才、鬼才が周囲にたくさんいて、彼らに声をかけてはその上前をはねることができた。とにかく嫌な人だったんです。 昨年、寺島さんが自宅のトイレで孤独死しているのが見つかりました。亡くなる前年には誰にも構ってもらえないからって、僕の妻が働く法律事務所に自分のハメ撮り写真を送りつけてくるぐらいだったんですけど。それで当時の同僚で、今はこの本の版元の代表を務めている岡﨑雅史さんと話したんです。寺島さんはいつ我々が知る『寺島知裕』になったんだろうって」 関係者40名以上に取材してまとめられた本書は、寺島さんの一生を追いながら、時代を共にした者らの「所業」も明かしている。 「ただ、寺島さんの悪事や恥だけを書くのはアンフェアだと。岡﨑さんとは、僕たちもこういう酷いことをしていたとちゃんと書かなければと話しました。返り血を浴びるだけでは済まないだろうということです」 例えば「マニア撮影」という企画があった。全国から輪姦希望の人妻を募り、セックスの様子を撮って誌面にするというもの。樋口さんは入社してひと月も経たずに現場にいた。もちろん男優としてだ。 件(くだん)の岡﨑さんも、新宿アルタ前でパンツ一丁でリルケ朗読は序の口で、果ては……(自主規制)。 「現在だったら全ページがコンプライアンスに抵触するような本ばかり作っていました。この本では過去の事実をできるだけそのまま描きましたが、これを容認はしていません。酷い話を武勇伝として語るとか、ハラスメントを肯定するものでは決してないと、それは強調しておきたいです」 本書を自身の作家としての師匠、白石一文さんにも読んでもらったという。 「白石さんは元々ノンフィクションの編集者もされていたので。さすがに戸惑われていたようでしたが『雑誌がまだ生きていた最後の時代ですよね』と感想を頂きました。『岡﨑という人は驚異的な人物だと読めます』とも。群像劇……というか本当の主役は寺島さんではないですね(苦笑)」 ひぐちたけひろ/1971年、東京都豊島区雑司ヶ谷生まれ。2009年『さらば雑司ヶ谷』で小説家デビュー。11年『民宿雪国』が山本周五郎賞と山田風太郎賞の候補作となり話題に。著書に『日本のセックス』『テロルのすべて』『二十五の瞳』『タモリ論』『ドルフィン・ソングを救え!』『無法の世界』など。

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