【プレイバック’95】『杉並資産家老女殺害』スナック経営に銃や覚醒剤も…大胆すぎた犯人の逃亡生活

10年前、20年前、30年前に『FRIDAY』は何を報じていたのか。当時話題になったトピックをいまふたたびふり返る【プレイバック・フライデー】。今回は30年前の1995年7月21日号掲載の『特別手配中にスナックマスター 杉並資産家老女殺人の容疑者 逃亡6年の「大胆生活」』を紹介する。 1989年10月、東京・杉並区に住む佐々木シゲさん(仮名・当時82)の長男から「一人暮らしの母がいなくなり、土地が勝手に売られている」と届け出があった。翌1990年1月、神奈川県内の高速道路脇でトランク詰めにされた佐々木さんの遺体が発見された。警視庁は彼女の所有する土地を売却していたAと愛人のB、そしてもう一人の共犯男性C(当時38)を指名手配。だが、1990年7月にCは岐阜県内で白骨死体となって発見された。その後のAとBの行方は杳として知れなかった──(《》内の記述は過去記事より引用。年齢・肩書はすべて当時のもの)。 ◆6年間の逃亡…ついに悪運尽きた 《「家に踏み込んだ時、男は風呂に入っていた。部屋を捜索すると、拳銃は出てくるわ、クスリは出てくるわ……。それで二人を銃刀法と覚醒剤取締法違反で現行犯逮捕したわけですが、捕らえてみれば、 ナンとあのAとBの二人だった」 とまあ、茨城県警の捜査官もビックリの“大物逮捕劇”。あの二人とは、「杉並資産家老女殺し」に関連して特別手配されていたA(48)とB(52)の両容疑者。夫婦を装っての6年間にわたる逃亡生活も、ついに悪運尽きたのである》 A、B両容疑者は、佐々木さんが失踪する直前に彼女所有の土地250㎡を、実印などを偽造して勝手に売却。約2億円をだまし取っていた。警視庁は佐々木さん殺害事件のカギも二人が握っているとみて行方を追っていたが、二人は「中村宣虎・友子」と名前を変えて逃亡を続けていたのだ。 AとBは1990年秋から茨城県下妻市の養鶏場に住み込みで働き、翌1990年8月には同県千代田町(現・かすみがうら市)へ引っ越してAは浄化槽清掃会社に勤めている。このときの履歴書には「福岡県北九州市出身」となっていたが、実際には広島県出身で不倫の末にBと共に家庭を棄てて上京していた。 ◆スナックへは警官も来店 《「奥さんは、『子供が結婚して手がかからないので夫婦でこっちに来た』と言っていました。でも引っ越しの時、家財道具が一切ないので、普通の夫婦とは思いませんでした」(当時二人が住んでいた借家の大家)》 Aが勤めに出ている間、Bはラーメン店で働いた。「真面目でいいパートさん」と評判だったようだ。この頃は人目を避けてつつましく暮らしていた二人だが、1993年12月にはスナックを開店するという大胆な行動に。交友関係も次第に派手になっていったようだ。 《「20人も入れば満員という店で、女性はフィリピンとタイ人も含めて多い時は15人もいて賑わっていた。オープン祝いの花束に「九州・兄弟一同」というのがあったが、ウソを通すために自分で出したんでしょうね」(知人) Aはカラオケ大会やゴルフコンペを開くなど商売熱心で、店は繁盛した。が、まさかマスターが手配中の容疑者だとは誰も思わなかったという。この店には暴力団担当の刑事も顔を見せていたそうだが、やはり二人を見抜けなかったようだ。翌年にはBも別のスナックを始めたが、「ダンナは気前が良くて人あたりもいいので客が来たが、女房のほうの店はあまり流行っていなかった」(客)》 スナック経営者として地元では知られるようになった一方で、神経をつかうこともあったようだ。 《「店でケンカがあって警察が来たことがあったんですが、気がついたらマスターが物陰に隠れていた」(ホステス) 「いつも外に出る時はサングラスに帽子をかぶっていたし、家にはカツラが何個もあった。警察の無線を傍受しているので何が面白いのか聞くと、笑ってごまかしていました」(知人)》 しかし、逮捕の端緒となったのは、Aがテレクラで知り合った女性にホテルで覚醒剤を打って通報されたことだった。前述したとおり、捜査員がA宅に踏み込んだ時には銃も発見された。また「店でタイ人ホステスに売春をやらせていた」(知人)という証言もあった。いずれボロが出るのは必然だったのかもしれない。 ◆資産を狙って偽装結婚まで Aは地元のスナック組合の役員もつとめ、逮捕される1ヵ月ほど前には中古車販売も始めていた。銃を手に入れたり、覚醒剤に手を染めるようになったのもこの頃だという。 ギャンブルで借金を負い、千葉県内を転々としていたAは、1989年の春ごろにBの住むアパートの大家だった佐々木さんを知り、一人暮らしの彼女が250㎡を超える土地を持つ資産家であることを知って近づいた。 Bとともに佐々木さんを健康ランドや鬼怒川温泉に連れていったりするうちに、佐々木さんも二人に気を許すようになり「お兄さん」「お姉さん」と呼ぶようになった。さらには知人だったCを佐々木さんの長女と偽装結婚させてもいた。佐々木さんや共犯でもあるCを殺害したのは、土地を無断で売却したことが発覚するのを恐れたからだという。 Aは殺人と詐欺などで、Bは詐欺の共犯で起訴された。Bは1999年3月に懲役5年の判決を受けたが、Aは二審まで争って’05年3月に死刑が確定した。’08年4月に刑は執行されている。 まだAが逃走中だった1993年3月、登場人物を実名のまま、事件をドラマ化した民放の番組が放送当日に中止になったことがあった。このときAは当日のテレビ欄を目にしており「もう逃げられないと思い、冷や汗が出た」と後に書いていた。 大胆にも見えた生活の一方では、やはり常に追われる者のプレッシャーを感じていたのかもしれない。

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